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あれやこれやの思い出帖

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9 代わりにお前はいい×××があるやろが
2006年3月3日(金)  坂口和澄 さかぐちわずみ
 私は三人兄弟の長男、次弟は私より齢五つ下、末弟は齢十二下だ。
私と次弟は東京生まれだが、末弟は疎開先の和歌山県で生まれた。
齢が十二も違うと、中学一年生だった私には彼は弟であると同時に、まるで自分の子のように思えてかわいかった。

 今のように紙おむつがない時代、おしめの取り替えと洗濯は私の役目。家の前を流れる溝で洗った。
縁側で私が仰向けに寝て弟に「高い高い」をしていると、前触れなしに胸許に黄色い固形物を落とされたことがある。
翌年正月、母が八方工面(くめん)して作ってくれたキントンが食べられなかった。

 首が据わるようになると、弟を背負って草野球をやった。
考えてみりゃ危険だし、子供を背中にしてよく走れたものだと感心する。
高利貸しのTVCMで踊っている若い女の子を見ると、「俺だってあのくらい脚が上がったのになぁ」と、改めて老いを痛感させられる。

 弟が歩けるようになると、小学校のグラウンド横の木に1メートルほどの腰紐で繋いでおいた。
田圃に落ちてはいけないし、グラウンドに入ってくると危ないからだ。弟にもその記憶はあったそうだ。
しかし昨年十二月、私との十二歳差を縮めることなく亡くなってしまった。享年五十九、がっくりである。

 ところで、私たち兄弟は下になるほど頭がいい。どう足掻いても私は太刀打ちできない。悔しいじゃないか。思いあまって親に尋ねてみた。
 父は「そないな(そんな)ことあらへんで」と言うが、何となく痛まし気な表情である。母も同じ表情だ。
「どうしてかなぁ」と考え込む私に父はこう言った。
「いや、済まんな和澄。何しろ初めての子ぉやさかい、儂(わし)らも勝手がようわかれへんでな。二人目、三人目になって、やっとコツを憶えたんや。そのせいやろ」
 そしてさらにこう付け加えた。
「しかしな、その代わりお前は二人にない良(え)え×××を持っとるやろが」
 母も側で肯(うなず)いている。
読者の方は×××にどんな文字を当て嵌(は)めるか。
たぶん、私の若いころを知っている人は当ててくれるかも知れない。だが、そんな恥ずかしい言葉を私は口に出せない。辛うじて残っている私の良心がそれを許さない。

 が、思いきって言う。ビボウ、すなわち美貌である。私はそんなことは言われるまでもないと思いつつ、
「父さん、『ええ美貌』とはいわないよ、美貌だけでいい」と訂正を求めると、
父は「そやな、言葉としては間違(ちご)とる」と素直に反省した。
 両親の轍(てつ)を踏まないように私たちは慎重に事を運んだせいか、二人の子は私より頭がいい。

 両親は日暮里の善性寺で眠っている、合掌。
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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坂口和澄 さかぐちわずみ 不自由業
1934年台東区根岸生まれ。現在上野桜木町に在住。デザイン仕事のかたわら、中国史を研究。著書に「正史三国志群雄銘銘伝」(光人社)、「三国志群雄録」(徳間文庫)などがある。「谷根千」82号に「根岸だより」を寄稿。
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調布の美男美女より2006年3月4日(土) 21時32分
黄色い固形物すなわち金塊ですね、今どこに飾っていますか? そして宝物の「ええ×××」はどこに隠してありますか? 美女が是非拝見してみたいものと申しております。明後日は明治座に美女をお誘いいただき有難うございます。次回のお話を楽しみにし...
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