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あれやこれやの思い出帖

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7  「かつらぎ」なんて嫌だ!
2006年2月17日(金)  坂口和澄 さかぐちわずみ
 日本の航空母艦は鳳翔(ほうしょう)から葛城(かつらぎ)まで、計二十五隻が建造され、敗戦時、辛うじて残ったのは鳳翔・龍鳳・隼鷹(じゅんよう)・葛城の四隻だけだった。
鳳翔・葛城は戦後、復員船として活躍した。
 一方、アメリカはレキシトン、サラトガ、ホ−ネット、エンタープライズ、ヨークタウン、ワスプ、レンジャーのほか、大戦中に急遽、正規空母十六隻、軽空母九隻、護衛空母百二十数隻を建造した。
この数字を見るだけでも、彼我の国力の懸絶が一目瞭然である。

「軍国少年」だった私たちが知っていた日本の空母は、空母として設計・建造された世界最初の艦だった鳳翔、あと龍驤(りゅうじょう)、蒼龍・飛龍、それに加賀・赤城の大型空母だった。
 加賀は土佐型(未成)戦艦として進水後、空母に改装されたため、艦名に国名が付けられている。その特異な三重甲板は絵はがきでよく知られていた。
また、赤城は巡洋戦艦天城型の二番艦として設計されたものが軍縮で空母に変更されたため、そのまま山名が艦名として用いられた。

 一九四二年六月のミッドウェー海戦の大本営発表は、子供心にもショックを受けた。「空母一隻喪失、同一隻大破、巡洋艦一隻大破」という、それまでにない大型艦の被害の大きさと「敵空母二隻撃沈」という、ほぼ五分五分と言っていい戦果の少なさだった。
 この海戦で日本は赤城・加賀・蒼龍・飛龍四隻の空母を失い、戦艦榛名は大破した、と戦後に知った。
この一、二ヵ月後、父は「ミッドウェーで日本は大損害を受けたと言うとったぞ」と、知人の官僚から聞き、さすがに暗憺たる表情だったのを憶えている。

 話は変わるが、戦後の海上自衛隊の艦名はすべて平仮名だ。
「護衛艦」と言ったって、大和・武蔵を遥かに上回る戦闘能力を持つ艦さえある。
臍曲りのこの爺さんは「ひょっとするとこれを隠すため、柔らかな感じがする平仮名にしたのか」と推測する。
「こんごう」「はるな」「あさぎり」「はつゆき」…。いい加減にせい!
「常用漢字表」「当用漢字音訓表」にないからといって、内閣訓令に強制力はない。これに逆らったって「非国民」とされる時代ではない。漢字を用いるべし。
 そんなに近隣諸国の目が気になるなら、「護衛艦」の「艦」を「船」にしたらいい。
「艦」は「戦いに用いる船。やぐらの上から見おろす大きな軍船。いくさぶね」(藤堂明保/学研漢和大事典)である。

 何でもかんでも「平仮名化」する風潮は、地名にまで及んでいる。
私が疎開先で六年間居ついた町(和歌山)は、北方の葛城山脈から名をとって「かつらぎ町」になってしまった。
嫌だ。空母も町名も「葛城」にしてくれ。
このまま進むと愛媛県は必ず「えひめ県」になる。埼玉県の新「さいたま市」の登場がこれを示唆しているじゃないか。
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坂口和澄 さかぐちわずみ 不自由業
1934年台東区根岸生まれ。現在上野桜木町に在住。デザイン仕事のかたわら、中国史を研究。著書に「正史三国志群雄銘銘伝」(光人社)、「三国志群雄録」(徳間文庫)などがある。「谷根千」82号に「根岸だより」を寄稿。
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調布の禿げとブスより2006年2月17日(金) 20時33分
艦船の由来、興味深く読ませていただきました。蝿取りの栄冠さすがです。 今日は美味しいお菓子をご馳走になりました。いつもお気遣い恐縮です。 今も昔も持てたんですねーとブスが申しています。次のお話が待ち遠しいです。
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