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あれやこれやの思い出帖

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3 貞操(?)の危機
2006年1月20日(金)  坂口和澄 さかぐちわずみ
 爺の私にも若いころはあったが、どうやら子供たちには今の私の姿しか思い浮かばないらしい。「ヘ」の字に結んだ頑固そうな口許、寝癖の付いたボサボサ頭、マッチ棒が挟める額の深い皺(しわ)、しみだらけの手の甲、老醜とは言い得て妙な言葉で、私は気に入っている。

 さて、若いころ。当時は稀にもてたこともある。
大学時代、谷中の某所で過ごしたことがあり、谷中銀座を抜けて千駄木三丁目から20番線の都電に乗って江戸川橋、ここで15番に乗り換えて登校した。

 谷中銀座の女性店員や、大塚仲町から乗ってくる女高生四人組が待ち構えているため、時には国電を利用した。
日暮里−高田馬場間は当時十円。
昼飯代わりに食べた今川焼きが三個十円、ラーメン三十円、コーヒー五十円の時代に、この十円は痛かった。
暮夜(ぼや)ひそかに身の不運を呪い、世之介や業平(なりひら)に同情した。

 当時もっとも割りのよかったアルバイトは国政選挙の際の新聞記者の手伝いだった。
主な投票所に学生が配置され、記者から渡された開票結果を電話で本社に送る。一日、千百円もらえた。

 投票の十日前、支持政党や支持候補者を訊ねるアルバイトもあり、これも同額。私は地元の台東区を回った。
対象となる人は新聞社が無作為に抽出したもので、一日十数件を割り当てられた。
玄関の上がり框(がまち)でアンケート用紙に記入することになっていた。

 所番地は伏せるが、ある店は三十一歳のお内儀(かみ)さんが対象になっていた。
店は閑散としている時刻だった。
「ここじゃなんだから二階に来てちょうだい」
たしかに狭かったので、二階に行った。小肥りで色白、愛嬌がある。

 アンケートに答えてもらっている間、気が付くと彼女の膝頭は私の膝頭と十センチくらいしか離れていない。
回答が終わって帰ろうとすると、お茶とビスケットを出してくれたが、何と私の左に横坐り。私の角帽を触りながら、「店は暇だからゆっくりしてったら」と言う。
あわてて私はビスケットをもらってお茶も飲まずに飛び出して、公園の蛇口で水を飲んだ。
まだ十九歳とはいえ、彼女が次に御馳走してくれる品はわかる。
だが、どう食べていいか、マナーを知らなかった。
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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坂口和澄 さかぐちわずみ 不自由業
1934年台東区根岸生まれ。現在上野桜木町に在住。デザイン仕事のかたわら、中国史を研究。著書に「正史三国志群雄銘銘伝」(光人社)、「三国志群雄録」(徳間文庫)などがある。「谷根千」82号に「根岸だより」を寄稿。
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