2 爺でいいじゃないか
♪村の渡しの船頭さんは
今年六十のお爺さん
昔は六十で押しも押されもせぬ(「押しも押されぬ」と言う奴は誰だ)爺さんだった。
平均寿命が伸びた現在、六十で爺呼ばわりされるのは嫌だという人もあろうが、私のように七十歳を越えりゃ、誰がなんといおうと爺以外の何者でもない。
俺は立派な爺だぞ!
それなのに、この頃のCMは爺を爺とは言わず「歳(とし)を重ねられた男性」といい、禿(はげ)を禿と言わず「髪の薄い方」と言う。
これは戦時中、全滅を玉砕と称し、敗走を転進と言い換えたのと同じで、現実を直截(ちょくせつ)に見ず、曖昧(あいまい)にする卑怯な表現である。
試みに家内に問うてみた。
「ブスとはっきり言われるのと、顔が不自由な方と言われるのと、どっちがいい?」
家内は「ブスのほうがまだいいわ」と答えた。
戦後の国語教育のみごとな「成果」は、人々から豊かな語彙(ごい)を奪い去り、自分の感情を相手に伝える手段を失わせた。
「キレる」とは嫌な言葉だが、これは伝達手段の乏しさが生んだ症状だ。
私たちの子供のころ、
「何言ってやんでえ手前(てめえ)、この唐変木(とうへんぼく)のおたんちん。泣くのか、どうせ泣くならワンと泣け。ワンと泣きゃあ、それあの白犬(しろ)並(な)みに出世すらぁ」
など、悪口の言い方も豊富だった。それが今はいきなり……。
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