!新谷根千ねっとはコチラ!

あれやこれやの思い出帖

ゲスト連載の一覧へ   ↑あれやこれやの思い出帖の目次へ   <-前  次->  最新
2 爺でいいじゃないか
2006年1月13日(金)  坂口和澄 さかぐちわずみ
  ♪村の渡しの船頭さんは
    今年六十のお爺さん

 昔は六十で押しも押されもせぬ(「押しも押されぬ」と言う奴は誰だ)爺さんだった。
平均寿命が伸びた現在、六十で爺呼ばわりされるのは嫌だという人もあろうが、私のように七十歳を越えりゃ、誰がなんといおうと爺以外の何者でもない。
俺は立派な爺だぞ!

 それなのに、この頃のCMは爺を爺とは言わず「歳(とし)を重ねられた男性」といい、禿(はげ)を禿と言わず「髪の薄い方」と言う。
これは戦時中、全滅を玉砕と称し、敗走を転進と言い換えたのと同じで、現実を直截(ちょくせつ)に見ず、曖昧(あいまい)にする卑怯な表現である。
試みに家内に問うてみた。
「ブスとはっきり言われるのと、顔が不自由な方と言われるのと、どっちがいい?」
家内は「ブスのほうがまだいいわ」と答えた。

 戦後の国語教育のみごとな「成果」は、人々から豊かな語彙(ごい)を奪い去り、自分の感情を相手に伝える手段を失わせた。
「キレる」とは嫌な言葉だが、これは伝達手段の乏しさが生んだ症状だ。

 私たちの子供のころ、
「何言ってやんでえ手前(てめえ)、この唐変木(とうへんぼく)のおたんちん。泣くのか、どうせ泣くならワンと泣け。ワンと泣きゃあ、それあの白犬(しろ)並(な)みに出世すらぁ」
など、悪口の言い方も豊富だった。それが今はいきなり……。
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
坂口和澄 さかぐちわずみ 不自由業
1934年台東区根岸生まれ。現在上野桜木町に在住。デザイン仕事のかたわら、中国史を研究。著書に「正史三国志群雄銘銘伝」(光人社)、「三国志群雄録」(徳間文庫)などがある。「谷根千」82号に「根岸だより」を寄稿。
ゲスト連載の一覧へ   ↑あれやこれやの思い出帖の目次へ   <-前  次->  最新
ページトップへ