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台湾視察旅行報告2004

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台湾旅行報告 四日目
2004年3月12日(金)  守本善徳

朝ごはん、出発

今朝もお寺の食堂で、シンポジウム参加の先生方と一緒に朝食。おかゆ、野菜炒め、豆乳スープなど。 夕べの台南市内の夕食にご一緒した、アゥエイ先生がいろいろと資料を持って現れる。 シャイな方でなかなか渡せなかったらしい。 丘さん、アゥエイ先生、他にもシンポジウム参加の先生方と記念撮影の写真に納まる。 僕たちはここでシンポジウム参加終了。四重渓、三地門へ向けてバスで出発。

この辺で僕の理解している台湾島の最近の歴史を少し

最近というのは、世界史の中での歴史だから。世界史に組み込まれる以前にも原住民(ちょっと日本語では抵抗感があるけれど先住民族のことを台湾では原住民と一般に呼んでいる)が暮らしていたわけで。

1)17世紀にオランダがやってきて、彭湖諸島から台南(台湾島の南の方)のあたりを中心に植民地経営を始める。東インド会社です。
2)次に近松門左衛門の国性爺合戦でも有名な鄭成功(母親が日本人、九州の人)による統治時代
3)清が鄭一族を殲滅して始まった清統治時代
4)牡丹社事件をきっかけに、日清戦争後に始まった日本の植民地時代
5)蒋介石の中国国民党が中華人民共和国との内線に敗れて、大陸からたくさんの漢人とともにやってきて現在にいたる

今でも台湾(中華民国)の首都は大陸の南京にあって、台北は仮の首都ということになっている。 政治的には朝鮮半島同様にアジアのヤバイ地域ではあるのだろう。でも一方で上海あたりには台湾企業がどんどん進出しているし、建前と現実が入り混じってなかなかにややこしい。

台湾原住民族文化園区

10いくつの原住民族の伝統文化を紹介展示している施設。園内は周回しているバスに乗って移動する、広大な施設。原住民は台湾島がまだ大陸にくっついていたころに渡った民族で、いわゆる漢民族とは違う民族。顔立ちはハワイ人(小錦を思い浮かべるといい)とよく似ている。台湾原住民の間には、ルーツとなるような古い習慣、伝統が残っていることから、台湾島から海を越えてわたった民族が、インドネシアやハワイに暮らすようになったという説が有力とのこと。なるほど。

施設に入ると大変立派な展示施設がたくさんある。特徴的な頁岩を重ねて作った建物がそこかしこにある。ここを説明してくれるガイドさんは、陳金成さん。日本統治時代に国民学校で習ったということで日本語がおできになる。今は仕事を引退して、ボランティアでこの原住民文化村のガイドをされている。申し訳ないことに、施設の解説よりも陳さんの子ども時代のお話のほうが興味深い。

1)日本統治時代、警察官が教育もしていたこと
2)村に一つの派出所に警察官(日本人)が2,3人いるだけで、治安が大変良かったこと。日本統治時代前後は治安が悪かったらしい。

陳さんは日本統治時代を懐かしそうにお話になる。僕は、この後も何度も、申し訳ないような、恥ずかしいような気持ちになる。いのしし肉のバーベキューを少し食べる。

秋月コーヒー店

秋月コーヒー店は、原住民文化村と谷を挟んで反対側といった断崖にある。断崖に面した絶景のものすごいトイレが印象的。 このお店のおじいさん、おばあさんは山の奥深くに暮らした原住民。生花をあしらった美しい民族衣装でお客さんを迎え、おじいさん手作りの笛(鼻で吹く笛!)とおばあさんの歌をライブで聞かせる。なぜ鼻で吹くのかを伺ってみると「伝統だから」とのこと。なるほど。ライブをやっていない間のBGMは夏川りみのなだそうそう。

大変センスの良いお店のつくりは、息子さんのデザインによるもの。そこここに鉄筋で作ったオブジェがある。イスや机はどこかの学校からもらってきた物のようで、お金はかかっていないけれど、ハイセンスで落ち着く雰囲気。 ここで、おじいさん、おばあさんもご一緒にお昼ごはんをいただく。粟のチマキ、いのしし肉、山菜など素朴な原住民の料理。薄い塩味だけで格別おいしいというものではないけれど(ゴメンナサイ)、素朴な先住民族の食生活を思う。

おじいさん、おばあさんは日本語を話す。もう忘れかけているとおっしゃるけれど、どうして、子どもの頃に覚えたことはなかなか忘れないもののようです。手作りの笛での求愛、別の原住民族とは日本語でコミュニケーションしていたことなど、たくさんお話を伺う。原住民の名前、日本の名前、中国の名前と3つの名前を持つおじいさんとおばあさんは、息子さん、お嫁さん、娘さん、姪御さん、お孫さん(3歳)等、家族に囲まれた楽園のようなこの場所で暮らしている。

このあたりから、アーロンの活躍が始まる。アーロンはこの秋月コーヒー店のご家族とは親しい友人とのこと。

牡丹社事件碑

牡丹社事件後の古戦場。石門へ。1874年、牡丹社に漂着した琉球人を、原住民のパイワン族が殺害した事件。これに対して、明治政府が当時の台湾統治国清に抗議すると、清は「そんな辺境はウチでは管理してません」。明治政府がアジアに進出することになるきっかけとなった事件。碑に日本軍指揮官西郷従道の名前が見える。 現在、小高い丘の上にある記念碑は日本軍が作った記念碑を、国民党軍が建て直したものだとのこと。ある意味関係ない人たちが、あっちから見たり、こっちから見たりして自分に都合よく記念している。どっちもどっち。

紅瓦旅館

石門から四重渓温泉を過ぎて、山を一つ越えると今晩の宿、紅瓦旅館へ到着。 紅瓦旅館は日本でいう洒落たペンションといった感じ。円形の平屋で真中にロビーがあって、ロビーを囲むように周りに部屋の入り口が並ぶ。旅館のおかあさんはどこでも好きな部屋を選んで頂戴というのでみんな適当に選んで入る。まだ新しくて清潔。これで朝食付き1泊1,000元(約3,800円)。この旅館の家族ともアーロンは親しいようだ。

少し休んでから夕食。旅館から歩いて1分のところに、紅瓦旅館の食堂がある。台湾到着以来、夕食のときはいつもゲストがいたけれど、ここでは初めてゲストなしの夕食。谷中で飲んでいるような調子になる。なんといっても料理がうまい。タニシ、カタツムリ、川えび(ダムえび?)、かわった野菜にイノシシ肉などなど。台湾ビールが進む進む。息もしないで飲んで食べる。

温泉

水着着用、帽子も必要な温泉。出発前に野村さんに水着を持ってくるようにいわれていたのに、やっぱり忘れる。野村さんにお金を借りて、温泉の売店で300元ぐらいの水着を買う。楊さんは水着をもってないということで個室温泉(後で聞くと工事中とかで入れなかったらしい)。森さん、仰木さん、椎原さん、アーロン、野村さん、僕の5人で温泉に入る。お湯はほとんど冷水から熱めまで4つ。森さん、仰木さんは、熱めのお湯に入ってあったまったところで冷水の打たせ湯でマッサージ。お湯にドボンと入った仰木さんに、どこかから「アブナイヨ」と声がかかる。

僕は熱めのお湯にずっと浸かって早々にあがる。「日本直送抹茶アイスクリーム」の看板。へぇー。ここ四重渓温泉も含めて、台湾の大きな温泉地はほとんど日本統治時代に開発されたものとのこと。なかなかよいお湯でした。

小宴会

旅館のお母さんがスープを出してくれる。アーロンが粟酒を調達してくる。旅館の前庭にある大きな石のテーブルに集まって小宴会(僕はどうもここで湯冷めしたらしい)。 スープは鳥肉のスープ。大きな寸胴をカセットコンロでぐつぐつ煮ながら食べる。いくらでも食べられる。粟酒もなかなかにおいしい。ほのかに甘くてジュースのよう。ビン詰めされているのだけれど、ラベルがはってない。売り物ではなくて自前で消費するための原住民のお酒。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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守本善徳守本善徳 システムコンサルタント
愛知県名古屋市に生まれ、石川県七尾市で大きくなって、東京都文京区でもっと大きくなる。2000年より谷根千ねっとの運営管理者(残念ながら食い扶持ではない)。
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