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台湾視察旅行報告2004

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台湾旅行報告 三日目
2004年3月11日(木)  守本善徳

シンポジウム二日目

朝ご飯を食べてから、土城小学校の体育館へ。ヤマサキさんが急用で帰国することになる。楊さんや成田からずっと同行してくれている日台交流センターの野村さんがバタバタしている。ヤマサキさんついてない。

ここで野村さんのことを。野村さんは道教がご専門の研究者。今は日台交流センターの仕事をされている。今回の台湾旅行のスケジュールから、僕の着るべき服装まで、窓口となっていろいろな調整をしていただいた。台南で暮らしたこともあって、中国語もできる。仕事にまじめに取り組む姿がとても気持ちの良い若者(まだ若者)。実は野村さんは、僕の家や谷根千の事務所から歩いてすぐの谷中にお住まい。日本に帰ったら反省会をすることに決まっている。

昨日は生徒の成果発表だったが、今日は先生の成果発表。今日も丘さんが司会をされている。先生方のプレゼンテーションは、僕の前提知識の不足もあって、あんまり理解できない。5人程の先生が発表したのだけれど、最初の先生がかなり時間オーバーしたらしく、後にいくほど持ち時間が短くなっているもよう。最後の先生なんかはちょっとかわいそうだった。質疑応答になって発表した先生が答える側に並んで座る。質問に答えるときも最初に時間オーバーした先生は、たっぷり時間を使ってすごい自己主張。ここに参加されている先生方は意識の高い、優秀な先生方なのだと思うけれど、ちょっと引いてしまう。

お昼ごはんをいただいてから、シンポジウムに参加している先生方と一緒に塩田文化村に移動する。ここで、森まゆみ団長の講演。僕は良く知っている内容なので安心してほかの事を考えていられる。森さんの横に座って通訳をしている楊さんがすごいなぁとか、なんで警察官がいるんだろう(人が集まるところでは時に臨時派出所を作るらしい)とか。講演後の質疑応答ではたくさんの質問があって、ここでも時間オーバー。講演はちょうど時間通りに終わったのにね。

次に地元新聞社の記者の呉さんのお話。すごい勢いで喋り捲る。楊さんの通訳が追いつかず、話も抽象的だったからあんまりよくわからない。面白いのは、この人、講演中に机の上にデンと携帯電話を設置している。案の定電話がかかってくるのだけれど、なんとさらっと電話に出て話してました。5、60人を前にしての講演中に。そこここで見かける風景から、台湾は日本に比べて携帯電話の利用に対して寛容な感じですが、ちょっとこれには驚いた。

塩田

講演が終わり、先生方はフィールドワークの研修へ。僕たちは今日でおしまいだけれど、最終日にこの研修の成果発表もあるとのことで、みなさんグループに分かれていろいろ討議中。僕たちは、呂さん(もしかするとお名前が間違っているかも)に塩田文化村内をご案内していただく。この塩田文化村は、政府の決定で廃止された塩田とその周辺の住居などの設備を、呂さんを中心としたボランティアスタッフが活用しているということらしい。 鹽田生態文化村

呂さんは大学で生物学が専門なのに経済学の講義を持っていて、建築にも詳しいので建築も教えているとのこと。ここまで聞いただけですでになんだか変わっているけれど、仲間と一緒に太鼓を叩くパフォーマンスをしていて、今月はもう100万元(3.8円/1元!)ぐらい稼いだのでボランティアの仕事をしているんだって。このあたりはちょっとホラっぽいけれど(アーロンは絶対ウソだといっていた)、とにかくスケールの大きい人なので、僕は半分ぐらいは本当かもなと思っている。この日もどこかのメディアが、呂さんの太鼓を叩く姿を撮影に来ていて、塩田の脇にある塩の山にアグラをかいて太鼓を叩いていた。不思議だ。

塩田へ。割れた瓦を田んぼに敷き詰めて、そこに海水を流し込むといった感じです。この瓦のかけらはかなり古い感じなので、日本で骨董市なんかに出すといい値で売れるものかも。この塩田は日本統治時代に大日本塩業という会社が技術導入して作ったものだそうです。日本がいなくなった後も塩田は盛んだったけれど、数年前に政府の決定であっさり停止。それを、呂さん等が中心となって再開している。最盛期、この塩田で生産した塩は、北海道にたくさん輸出されたとのこと。塩鮭に使ったらしい。へぇー。

塩田の仕組みはシンプル。畦道で区切られた塩田の区画に、海から海水を引き入れる。高低差のあるいくつかの区画を通るごとに水の塩分濃度が高くなって、最終的には塩の結晶ができる。現在は、広大な塩田の一部しか再稼動していないので、生産量が少なく、質も今ひとつなので改良中とのこと。最終工程の区画に盛り上がった塩の結晶をなめてみる。ほのかに甘くておいしい。帰るときにちいさなタッパーにいれた塩をおみやげにをいただいた。

ここでは塩田だけではなく、小さな工房で手作りの工芸品を作って販売している。きれいな女性が作っている魚の形をした細かい刺繍の入ったいろいろな雑貨。森さん、オオギさん椎原さんみんな買う。他にも石や木を加工して作った雑貨など。工房兼住居兼お店といった感じのたてものは、昔塩田作業員が暮らしていた家を使っている。政府の持ち物だそうで、家賃はタダ。なんで?と聞くと、最初っから払っていないし、今既に80人ぐらいの雇用を作ったから、今更政府も強いことを言えないということらしい。うーん、不思議だ。電気代や水道代も政府が払っているっていってたけれど、本当かな。通訳の楊さんも笑ってなんども聞き返しているけれど、どうもケムにまかれたような。

塩田周辺には作業する人が暮らしていた家などがあって、小さな町のようになっている。今はほとんど廃墟になっているけれど、修復して学生の暮らす家にする準備をしているということ。映画館もあった。塩を出荷したり通勤にも使われていた港、駅、中途半端に修復されて気に入らないのでやり直すという家などを、ぐるっと説明してもらう。歩いているとなんだか生臭い匂い。何かとおもったらクジラ。クジラの解剖をしたそうです。突飛だ。死んで打ち上げられたクジラを骨格標本を作るためにもらってきて解剖したそうです。生物学がご専門だからね。突飛だ。

台北のような大都市でも、台南の郊外でも、台湾にはほとんど電柱がない。東京でもぼちぼちやっているようだけれど、共同溝化、地中化が進んでいるのだ。電柱がなくて、高い建物が周囲にないと空が広い。車の通る音も聞こえない塩田の真ん中で、夕暮れ、ほとんど目の高さに夕日が沈む様子は圧巻。

夜、台南市内で台湾料理

丘さんに台南で一番おいしいという台湾料理店に連れて行っていただく。 ここで食べた麺が絶品。揚げた麺と川ウナギ(ちょっと怪しい?)やたまねぎと一緒にしっとり炒めたもの。油についた味が奥深いのだ。ここでも仰木さん、椎原さん、森さんは料理の写真をとって絵を描きメモを取る。僕は食べて飲む。少し落ち着くと、ご一緒していた修復家のおじさん(自由人;当然ポニーテール)が、お店のどこかからカラスミの塊を持って現れる。親指二本分ぐらいの大きな塊。こうやってカラスミかじりながら飲むビールもいいね。でもやっぱりカラスミはスライスして二、三切れでいいかな。 出てくる料理は大量でどうしても残ってしまう。もったいないなぁ。

この日は広大な塩田に始まって、夜の台南の町へとたくさん歩いた。ひざがガクガクしている。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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守本善徳守本善徳 システムコンサルタント
愛知県名古屋市に生まれ、石川県七尾市で大きくなって、東京都文京区でもっと大きくなる。2000年より谷根千ねっとの運営管理者(残念ながら食い扶持ではない)。
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