22 痩せた人間に国の将来は託せない
鶯谷界隈を歩いていると、優に100gを超える巨体を乗せた自転車がすいすい走っているのを見かける。とは言っても御行の松近くの相撲部屋のお相撲さんじゃない。中にはデブを愛する人たちのために、肥満体を生業(なりわい)に活用する女の子たちが時折いて、私はここに日本の工業技術の高さを見る。
戦前、Made in Japan といえば、「粗悪品」の代名詞だった。「なぁに、どうせ輸出するんだからYシャツの釦(ボタン)なんか糊付けしただけですぜ」という話を昔、聞いたことがある。そのせいなのか、父が愛用していたソフト帽は外国製で「これしか(このほうが)良(え)えで」とよく言っていた。
身をもって日本の技術水準の高さを照明しているばかりか、「痩せたい願望」に取り付かれている昨今の風潮に敢然と立ち向かう彼女たちの姿は感動的でさえある。あの背中に明日の日本を背負わせたい。
話が逸れてしまった。本題に戻そう。
森鴎外の短編に、唐代の女流詩人として名高い『魚玄機』(ぎょげんき)を扱った作品がある。長安の倡家の娘に生まれた彼女は、卓抜な詩才と美貌に恵まれ、当時の士人の間で有名だった。しかし、愛人との仲を疑って婢女を思わず殺してしまったことが露顕、二十六歳の若さで処刑された。彼女の作品のいくつかは『全唐詩』に収められている。
鴎外は『魚玄機』の中で「玄機は久しく美人を以(もっ)て聞こえていた。趙痩(ちょうそう)と云はむよりは、寧ろ楊肥(ようひ)と云ふべき女である」と記している。
趙痩とは何か。これは後漢の成帝(在位前32〜前7)の皇后趙氏のことで、長安の宮人の娘に生まれ、軽やかに舞ったことから「飛燕」と称された。成帝はこれを見て悦び、妹とともに宮中に入れ、やがて皇后とした。しかし成帝を呪い殺したと疑われて自殺した(前2)。姉妹ともども成帝に寵愛されたが、ついに子は産めなかった。
一方、楊肥とは何か。これは唐の玄宗(在位712〜775)に寵愛された楊貴妃のこと。白楽天の詩『長恨歌』(806)の一節は、華清宮中の温泉で沐浴する彼女の姿を「温泉水滑(なめ)らかにして凝脂を洗ふ」と描く。「凝脂」は凝り固まった脂(あぶら)のこと、ふくよかで真白な肌の形容である。肉付きがよかった傾国の美女は、安禄山の大乱の際、迫られて自殺した。
こう見てくると、美人に生まれるのも考えもの、何事にもほどほどがいい。
なのに最近の「痩せ願望」の蔓延は何でだろう。健康のためだというのなら、それは大間違い。食うものも食わずに痩せて、何が健康だ。「見てくれ」の問題だというのなら、それも間違い。痩せて筋張った体のどこに魅力があるか。「見てくれ」を気にする前に、人としてやらなければならない事があるはずだ。さもないと、人類最古の職業に従事する彼女たちに、将来を託すことになりかねない。不健康な体に重荷は託されないからである。
と、爺さんは真剣に国を憂えている。ある作家みたいに「憂いている」とは書かない。
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