17 ラヴ・レター代作でコッペッパン
いかなる星の下に生れたのか(これまた古い表現!!)、自分のことはそっちのけ、友達に頼まれてラヴ・レターの代作を何度かやった。和歌山から戻って東京の文京高校三年に転入(一九五一)した時のことだ。
当時、文京高校は元町小学校に間借りしていた。水道橋駅で降り、神田川沿いの坂を登った途中にある。友人のTが近くの櫻蔭高校の女生徒に惚れてしまった。私にどうにかしてくれと泣きついてきた。
私は淳朴な性格である。他人の色恋に口出し出来る柄じゃない。で、断った。友人は「せめて手紙の文章だけでも書いてくれ」と迫る。書いてくれれば昼飯にコッペパンを奢るという。
私は聞いてグラリとなった。弁当のほかに食べる十数円のコッペパン代が無料になる!!
これに十数円足せば、★ひとつ三十円の岩波文庫なら一冊買えるではないか。とうとう引き受けてしまった。だが、その後が大変だった。自分の性格どおり、余計な美辞麗句は一切使わず、淡々と綴ったのが友人には通じない。
もっとロマンティックな文章にしろと言う。「ええい、ままよ」とばかり、我ながら気障(きざ)な文章をでっちあげた。これを読んだ友人は大喜び、「坂口、コッペパンにジャムでもマーガリンでも塗っていいぞ」と言う。「うん、俺はバター塗ったのが食いたい」と要求してOKとなった。
Tはどうなったか。卒業後、噂によると半年ほどつきあって、みごとに振られたそうだ。噂といえば、坂口はラヴ・レター書くのが巧い」という評判がクラスに弘まり、五、六人から頼まれた。これは貴重な栄養源となり、しかもパン代が節約出来る。あれから五十数年、いまも本棚には代作で得た多くの文庫本が鎮座ましましている。
高校時代は食べ盛り。和歌山にいたころは、大きな弁当箱にサツマ芋と麦を混ぜた飯に梅干を数個入れたのを、三時間目と四時間目の授業の合い間に平らげ、昼食時間になると塀を乗り越えて、高校から百メートルほど離れたパン屋に走って、コッペパンを買う。金のある奴はジャムを塗ってもらうが、われわれは何も塗らない。校内の井戸で欠け茶碗に水を汲み、それでコッペパンを流し込んだ。
今もそうだが、いい塩梅に私はいくら食べても肥らない体質で、一七〇センチ六十六キロはここ三十年変わらない。ただし、背は五ミリほど縮んじまった。よく歩いたため、足が磨り減ったせいだ。
ふり返ってみると、私の売文稼業も長いなあ。ところが大学に進むと、今度は友人たちの女性関係のトラブル解決係の大役を仰せつかることになってしまう。わかるでしょ、「如何なる星の下に生まれんか」と私が嘆くのは―。次回はこれを書こうか。
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