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くまのかたこと

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2月15日、2月16日、2月17日、2月18日、2月19日、2月20日

2月15日(日)
10時55分のJALでバンコクへ。今回,ケータイを借りた。それと保険で,一万円以上成田でとんだ。成田で一万円だけバーツに変えて3400バーツだったが、スワンナブーム空港でも簡易エクスチェンジがあって3700バーツ。しまった。パブリックタクシーできものサロンに向かう。渋滞もなく400バーツ。いい運転手。ここは気持ちのよい住宅地にミンパクなので体が休まる。家の前の広場に素晴らしい大木がある。夜は近くのマーケットに行って,鳥のあげたのや,豚の炭火焼やイサーンのソーセージやソムタムを買ってきて宿の主人と飲む。シンハ最高。

2月16日(月)
小松先生と朝,お粥を食べにいき,いつものようにじゃあな,と別れてわたしはジムトンプソンハウスに行った。やっぱり喧噪のバンコクで一番落ち着くのはここ。カフェで池を見ながらビールを飲んでいるだけでいい。サイアムパラゴンの布屋や骨董屋を見に行くが目の玉の飛び出るほどたかい。でも,東京ではこんなのないぞと手染めの藍のシャツなど買ってしまう。チットロムのマッサージやで待ち合わせ,夕方ベトナム料理を食べにいく。生春巻きなんて特別頼まなくてもなんでもライスペーパーと野菜がどっさり出てくる。野菜はサニーレタス,固いバナナのスライス、バジル、ミント、ドクダミ。すごく体に良さそう。丸森でもやってみよう。

2月17日(火)
小松先生がもう100回くらいタイに来ているうち、バンコクでの楽しみはチットロムのイタリア料理店。このへん異国人も多い都心である。
まだ店が開かず,その後ろの外国人向けのマンスリーマンションを見せてもらう。日本の某大新聞の支局長もここにいるとか。いいなあ、広い庭,プール、イタリア料理店付き。ひと月14万というので一度くらい借りてみるのもいいかもしれぬ。イタリアンも東京の名店に引けを取らない。ただランチが350バーツでワインの方がたかかった。そのあと今日のカオサンの宿に着くと、600バーツ、1800円ぐらいでエアコン付き,なかなかいい部屋である。周りにバーや屋台も多いし,こっちの方がいいや。カオサンにはじめて来たのは13年くらい前だが,そのころは髪の毛の長いヒッピー崩れみたいな人が大麻でもやってそうなところで、売春婦もいたし、あやしげなディスコや床屋(たいてい売春窟)もおおかった。政府が健全なリニューアルに乗り出し,今のカオサンは欧米人の家族連れや学生の安宿街。旅行社もあって便利。中にはバリ島のようなアジアンテイストのしゃれた宿もあるし、私の今回の宿でも狭いシングルでファンだけでいいなら200バーツ。ここで聞くはなしは東京にはカオサンみたいなところがないし、なんでもたかくて閉口したということばかり。それで私は、いま山谷や横浜の旭町のドヤ街をリフォームしてカオサンみたいにしてるからまた来てというのだが。谷中あたりでお寺とか,世界の若者のために開放するところはないか。相互理解と世界平和のために、お経読んで世間知らずにいばっている時代じゃないと思うんだけどなあ。近くの船着き場から船でチャオプラヤー川をはしりワットポーのマッサージに行ったけどここ来るたびに俗化して技術も落ちている。道の真ん中で転んで方を打ち,眼鏡を壊す。夜,バラバラの便で来た明治、法政、国学院の学生たちがそろい,屋台でイサーン料理を食べた。美味しいが,卵焼きの油のせいか夜中中胸が焼けて気持ち悪い。

2月18日(水)
ゆっくりの飛行機でチェンマイに飛ぶ。ダイエさんが空港まで迎えにきて、そこからまずカレー味のカオソーイを食べ、もちろんビールを飲み、象に乗りにいった。この春のツアーは小松先生が教えている大学の学生のスタディーツアーなので、わたしは便乗組。象に乗るのも2回目だが楽しい。いくつか銀や布の店をのぞき、素晴らしい藍染の手織りを手に入れる。川沿いのレストランのオープンエアで食事をしたのはいいが,柵にもたれたら柵がくさっていて川に落っこちそうになり,手をけがする。これで三回目,天中殺か。自重してナイトバザールはパスして本を読む。歳だから盛りだくさんなメニューを全部つき合っていると体調を崩す。

2月19日(木)
チェンマイから例の軽トラの荷台に載って。ダイエさんの作ったメタムの子供寮を尋ねる。三回目だが、立派なコンクリートの建物に変わっていた。
最初尋ねた十年前、ラフ族の村には学校はなく、村人にはタイ国籍がなく、学校にやるお金もないので、子供たちは学校に行けなかった。
ダイエさんはたまたま、タイであった小松光一さんに、日本に来いよといわれその気になりホントに来てしまった。小松さんの教える千葉の農業大学校にはいったものの、学校では勉強ができない(正しい!)と紹介された農家を回って研修、今回いらした熱田さんもそのときの研修先だそうである。日本語も話せるし、万国あたりでいい仕事に就くこともできたのに、村にかえって、自分たちの民族のほこりを胸に、村づくりを始めた。といったって、ここで観光や工業商業のしごとを作るのは現実的でない。彼は実験農場を作り、村々を訪ね歩いてその成果を伝えるとともに、がんばり屋の青年を実験農場で研修させている。ダイエさんはよく『ぼくたちラフ族には国がない」という。でもタイ、ミャンマー、中国雲南省にあるラフ族の村と交流し、助け合いたい、そこにも実験農場を作るのが彼の夢だ。
もうひとつのしごとが、子供たちに教育を受けさせるしごと。それで学校がある町の近くに寮を作って、そこから学校に通わせている。その寮費だって出せる親は少なく、説得するのも彼のしごと。そんな活動を政府も認めて最近では大きな少数民族の村に小学校ができ始めているという。今回,浦和の見沼田んぼで障害を持つ人々と農業をやっているグループの方が、浦和ロータリーのメンバーでもあって、女子寮にベッドを寄付してくれた。その贈呈式があって、私たちも寮でおいしい昼ご飯をごちそうになった。鳥のつみれにはいっている野菜はニラの根っこだそうでおいしかった。そのあと、まだ軽トラでウェンパパオの山の村までのぼる。
世界で一番好きなピースフルなところ。

2月20日(金)
朝、恒例のフリー、マーケット。始まる30分前から村の人は小銭を握りしめて集まり、まるでよーいどん。これも小松先生のアイデアで、ものをあげると施しになる、一番貧しい村の人から搾取しようの冗談で、でも洋服を10バーツとかめちゃめちゃ安く売るので村人は楽しみにしている。こうすれば村の人がお客さまだ。この村からは靴や洋服を売っているまちにいくのも大変。山岳地帯で寒いので割とセーターなんかよく売れる。コートよりアノラック、文房具は前は取り合いだったが、去年いっぱい寄付したので今年は学生の盛ってきたファンシーグッズと化粧品が女の子に人気。私もけっこう盛ってきたけど、シャンプーとリンス、ボディークリームと顔用、手用など説明するのに骨が折れた。アカ族の村を尋ね、ビールを買う。ここには冷蔵庫が会って冷えていた。夜、熱田さんと私の青春放浪記を学生たちに語れと小松先生がいう。この隙間だらけの小屋だといくらでも時間はあるし恥ずかしくない。熱田さんは電源開発で昔はダムを造っていた。20代でゴルフざんまいのいい生活をしていたが,だんだん必要モないのにダムを造ることに疑問を感じ、奥さんの実家の農業を継いだ,それから水俣問題に関わったり日本中の篤農家を尋ねて農業のスキルを手につけ,いまは100の消費者とネットワークを作って食える農業を立派にやっていらっしゃる。今日は蚊はいないが、相変わらずコケコッコーで早く目が覚める。

2月21日(土)
ダイエーさんに前から約束の、ラフの青年の学費援助金を熱田さんと半額ずつ出す。少数民族で村に留まるリーダーを育てることは重要だ。ダイエさんは自分とは違ったタイプの子供たちを育てるリーダーをほしいらしい。この村はクリスチャンで,だからこそ,村人は酒に溺れず懸命に働いてきた。ダイエさんの姉の夫は牧師であって,その息子をチェンマイの神学校にいれてリーダーにしたいというのだ。
地上で一番好きな場所、ウェンパパオの村を去り、チェンライへ。寺を見たり、いろいろしてメーサイのホテル泊。屋台でまたソムタムや野菜炒めでシンハを飲む。タイへは食べて本を読む、そのために来ているだけ。それでよい。

森まゆみ

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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