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くまのかたこと

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10月31日(金曜日)

朝のうち彦根城をゆっくり見て勉強になった。官軍史観では井伊直弼といえば、安政の大獄で吉田松陰や橋本左内、梅田雲浜を切った圧政者なのであるが、彦根では進んだ考えを持ち、幕末の混乱期にあえて火中の栗を拾って大老となり、開国を進めた名君のようであり、展示を見ているうちにそのようにも思えてきた。とにかく彦根という、西国をにらみ北陸をにらみ、関東をにらむ土地の枢要さ、関ヶ原の戦いのあと、家康はここに急ぎ、城を造らせ、譜代の重臣井伊家をおいた。もとは琵琶湖側に松原湾が城を浸し、その水運で物資も運んだし、情報も得たその井伊家がなぜ官軍側に回ったのか・・。直弼が桜田門外の変で水戸浪士に殺され禄高はがくんと減らされてしまうし、最後の将軍、水戸出身の慶喜も井伊家に薄かった。なんかわかるような感じ。そのとき家臣は家老から下侍まで一票ずつでどっちに付くか投票し、僅差で官軍につくことにしたとか。「日本初の直接民主主義でした」と堀の遊覧せんの船頭さんがいった。
そのあと大阪経由で丹波篠山に行き、町作りのお話。

森まゆみ

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しまねのもり2008年11月27日(木) 13時09分
あらあら、彦根に来ておられましたか。大手門向かいの高校は私の母校ですし、天守閣から見える伊吹山は私のふるさと。ご案内もできましたのに。 もっとも、その日は、根津で友人たちと宮本常一の講演録を読んでいましたが。 寒くなります。ご自愛のほどを。
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