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地域雑誌「谷中・根津・千駄木」 6号
そろそろ熱燗のうまい頃
1985年12月15日(日曜日)発行  250円   在庫切れ -> 品切本複写サービス
6号 そろそろ熱燗のうまい頃
特集 そろそろ熱燗のうまい頃

世の中に酒というものなかりせば
何に左の手を使うべき

なんぞというパロディもございますが、
酒なくては夜も日も明けぬ江戸っ子の末。
上野戦争のタマをかいくぐっては飲み、
関東大震災の復興中でもかまわず飲み、
戦時下は配給所を取り仕切るといって飲み、
終戦直後の国民酒場には昼の三時ごろから、
大の男がズラっと並んだのでございます。
まさに酒は世につれ世は酒につれ
「寒いから一ぱいひっかけるか」
という夜に、買いつけの酒屋の歴史を、
どうぞ旨い酒の肴になすってくださいまし。

日本人が酒を飲むようになったのは「魏志倭人伝」や「日本書紀」の昔から。のち宮廷や寺で酒造りが行なわれ、中世には京に造り酒屋が出現。
しかし酒が庶民の喉を潤すようになったのは江戸寛政をすぎて酒が大量生産され、樽廻船という酒専用の商業ルートが確立されてからである。江戸っ子は灘、伏見の上方の酒を「下り」、尾張、三河、美濃あたりの酒を「地廻り」と呼んだ。
運送量は幕末で年に百万樽、江戸の人口が当時百万人だから、ほぼ一人年間四斗樽一つを飲みほした勘定。ちなみに今、ビールは一人年間に二斗。
文化文政の頃は寒作りの灘の生一本が多いに宣伝された。その当時すでに谷中や根津で商売していた店がある。
其の6 1985.12.15
酒屋特集(40p) 
表紙/大津絵「酒屋の鬼」
谷中・大円寺−スケッチ/川原史敬
自由民権と谷中墓地3−小野梓と馬場辰猪
酒屋60軒全調査−そろそろ熱燗のうまい頃
 伊勢五、宮田屋、相模屋、吉田屋、野村屋、根津の酒屋、日暮里と道潅山下方面、足立 屋、上総屋、三河屋一覧、慶野酒店、夜店通りと谷中・千駄木方面、万屋酒店
 根津の文人・朗月亭羅文さんのこと
 酒屋取材帳より
 谷根千酒屋全リスト
谷根千の風景−崖の四季−加宮貴一さん
手仕事を訪ねて4−森田桐箱店(谷中)
谷根千マップ
聞き書き市井の人−わたしの谷中−高橋くら
著者自筆広告4−木下順二「本郷」講談社
水晶ローソク遺聞−町工場の夏−清水小百合
根津・丁子屋−剪画・文/石田良介
薮下通りの景色が変わります−木村民子
浄名院のジョー−野沢延行(東雲)
資料・明治の新聞に表れたる谷根千付近
鴎外補遺
本郷・ナイト・アンド・ディ1−白山通り冬午前2時
ひろみの一日入門4−アイロンかけにコツがあった−三協クリーニング(根津)、大和ク リーニング(谷中)
いいコーヒーは繁華街では飲めない−ラ・ゲール(上野桜木)、庵(池之端)
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