2011年5月 のアーカイブ

書いては消しの繰り返し

2011年5月12日 木曜日

とんでもない震災が起こり、その前に書いては消ししていた一年生日記もそのままに。
もうすぐ春休みというときだった。
私は安田邸で地震に遭い、庭に逃れて植木屋さんに助けられた。
娘たちは自宅におり、家に帰ってみると、よく使う小鉢と皿を少しだし、食器棚にはガムテープ。
冷蔵庫は、入っている物の名前と賞味期限が書かれた紙が貼ってある。
ペットボトルや水筒に水をいれ、ズラッと並んでいる。
紙皿、紙コップ、ラップ類がまとめておいてある。
これは長女の仕事のようだ。
いつものんびりしている娘なので見なおした。
あゆみは入浴中だったらしく、余震のたびに怯えていた。
家では、線香立てにしている茶碗がひっくり返り、床に灰が散乱していたが、大きな被害はなく、茶碗が数個割れたくらい。
母が一人暮らしなので、子供2人を母の家に派遣、2日間交代で泊まりに行った。

地震直後、携帯で連絡を取ろうとしたが、つながったのは一緒にいた人1人。
ソフトバンクだという。
私のは全くどこにもつながらなかった。
今回の地震でちゃんと機能したのはツイッタ―だけとか。
ツイッタ―はわからないのだけれど、人が言うには、「今西日暮里は混んでいる」とか、しばらくすると「少し人が動き始めた」とか、どんどん情報が新しくなり、それを頼りに帰宅したという。
みんな大変な状況なのに、逐一、そういう情報を誰かのために流しているの?

2日後には餅つき。やめようかとみんなで頭を突き合わせて話し合ったが、やっぱり、やろう。
きっと一人で地震に遭って、人に会いたい人もいるだろうし、話したい人もいるはず。
それで量を控えて、餅つきをした。トン汁も。
子供連れもおばあちゃんも、たくさん集まりました。やってよかった。

その後の大人災。
ピアノや三味線も、しばらくは弾く気持ちになれなかった。
安田邸も3月いっぱいは点検のためにお休み。
五月飾りには大勢の方が来てくれた。

電気が控えめになった町。
これでいいのだ。
朝、カーテンを開ければリビングは明るい。
そしてこの夏は団扇を使おう。(毎年恒例の自前冷房)

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