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くまのかたこと

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1月16日、1月17日、1月18日

1月16日(木曜日)
文化庁の文化財の会議、8年委員を努め、勉強させていただいたが今日で終わり。これからは市民活動家に戻れて少しほっとする。それにしても河合隼雄さんが長官としてなくなられたのは残念だった。いっしょに沖縄に視察に行ったり、文化庁の文化化といって岩崎邸で香道の会を催すのに呼んでいただいたり、となりあわせるといつも肘でつついたり、ひざを叩いたり、とさわやかなスキンシップの楽しい方だった。お寺の屋根が唐様か禅宗様式か議論になると『それはカラオケ洋式と違いますか?」なんて茶々を入れたり、お墓は建造物か、史跡か、というときは「墓石でしょうなあ」といったり、笑いが絶えなかった。いまは青木保長官、激務ですからお体を大切にと心の中でつぶやく。

1月17日(金曜日)
赤坂の病院に行った帰り、楼外楼で海老とモツのおそばを食べる。1650円なり。30年も前、共同通信の松尾文夫さんに連れて行ってもらった店。あのころ22、3なのに贅沢していたなと思う。松尾さんとはマンスフィールド駐日大使の本など作ったのだった。それをアメリカ大使館に届けにいって、英語もろくにしゃべれずドキドキしていたら、大使館の人が本を見てYou did well とウィンクしてくれたのを思い出す。松尾さんは2・26事件のとき岡田首相の身代わりになってなくなった松尾大佐のお身内だとどこかで聞いたがほんとうかなあ。ずっと会っていない。最初に『燃えるパレスチナ」の本を作った坂井定雄さんは龍谷大学の教授になられたとか。いろいろ思い出しながら、勝海舟の屋敷あとに行ってみる。

1月18日(土曜日)
朝の便で愛媛へ。がらがら。ハドソン川の奇跡のあとで、みんな飛行機に乗りたくなくなったのかな。それにしてもニューヨークでアメリカ人中心の乗客が百数十人助かったと大騒ぎしてるかげで毎日、イラクやアフガンで一般民衆がアメリカ軍によって殺され続けている。どうなってんだ。藤田圭子さん、迎えにきてくれる。愛媛新聞のしごとで会ったのが最初であった。彼女は学生時代からうまれそだった遊子の段畑を保全する活動をしていた。海に面して丘が迫る瀬戸内のリアス式海岸。人々は石垣を築き、狭い畑を上へ上へとのばした。「耕して天に至る」。夜の段ばたときらめく星を見上げて、「私卒業したらここに帰る。ここで子育てもしたい」と言った圭子ちゃんの言葉を覚えている。子育てはともかく、彼女は愛媛新聞の記者となって、いま宇和島支局にいて、段畑や「じいちゃんばあちゃんのいる」日振島の記事を書いている。宇和島のルッコラというイタリアンで昼食。「まえにすごく美味しい鯛飯を食べたよね」あれから私は鯛飯ばかり作っている。玉子の黄身と醤油とごまに鯛の刺身をつけ、温かいご飯にのせてしその千切りをのせるだけ。「でも今日の夜は魚がどーんと出ますから」。ホントだった。3度目の民宿大勝丸はカサゴづくし。

森まゆみ

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