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くまのかたこと

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1月19日、1月20日、1月21日

1月19日(月曜日)
宇和島を出て圭子ちゃんの担当する鬼北町、松野町を旅する。町役場はレーモンド事務所でなかなかきれいなステンドグラスがはまっていた。残してほしい。この町はいまキジ肉で町おこし中。キジの羽ペンを頂く。
お昼は「ふかい」という地鶏の炭火焼にいく。じつにおいしい。野菜は芹だけ、あとご飯、みそ汁、漬け物でさっぱりしてるが美味しい。だらだらおしゃべりしているだけですぎていく。若い友人に遊んでもらうありがたさ。お薮温泉に入る。木造三階建て、登録文化財。残念ながら男風呂の方がずいぶん大きい。夕方、内子に着く。「もう10回位は来てるだろ」と岡田文淑さんがいう。町づくりで尊敬する方のひとり。岡田さんとは由布院や御手洗島や竹原やいろんなところにいっしょに行った。内子を伝建にしたのは岡田さんの粘り強い努力だ。いち早く村並み保存、引き算の町づくり、何時も勉強になる。そこへ亀岡酒蔵の亀岡徹さんが五十崎から来てくれた。亀岡さんの出で立ちはユニーク。白衣、針金付き携帯電話、針金で繋いだ二重眼鏡、これで夏は麦わら帽子の縁に七色の洗濯バサミが並んでいる。奇をてらうのでなく、便利だと言う工夫らしいが普通じゃない。この格好で紙袋下げてパリにいったりするとか。いま五十崎の和紙の再興に取り組んでいるのだ。お酒「鴎外の坂」の蔵元でもある。

1月20日(火曜日)
松山へ。伊丹十三記念館は火曜日で開いていなかった。昼前に会場に着き、午後、愛媛新聞の政経懇話会ではなしをする。無事終わる。かえりに「坂の上の雲記念館」ができたので行ってみる。安藤忠雄の設計。しかし一般人から募集した絵だのオブジェだの句だのをいっぱい並べているだけで、ほとんど原資料らしきものはない。手紙などもよく見ると複製。いくら司馬さんが人気があるったって、館を作る必要はなかったのではないかと思う。ビジュアル展示も高校の歴史教科書を出るものではなかった。にしても秋山兄弟はハンサム。それしか印象がのこらない。帰りに道後温泉によって空港へ。

1月21日(水曜日)
体にいいからすすめられてゴマと蜂蜜ときな粉の混ぜたのをパンに塗って食べています、といったら「どう体にいいのか、科学的に納得したのですか」と
尊敬するH先生にいわれる。「藁をもすがると言ったって、その藁がくさっていることもありますからね。それに蜂蜜食べてたら絶対に痩せませんよ。あれは熊が冬眠中のカロリーを取るもんでしょ」まさに、私は普段から、蜂蜜なめてる熊ちゃん、とサトコに馬鹿にされているので大笑いだった。
文庫解説のしごと断る。編集者の手紙には自分の都合ばかり書いてあって、なぜ私に頼みたいのか、ぜんぜんわからない。しかも「学術的なものでなくてけっこうです。エッセイ風なものでも」というのはなんか馬鹿にされたような感じがする。けっこう、という言葉は時に冷ややかな感じがする。まえに中公文庫の小関智宏さんの解説を頼んでくれた宮坂さんは、私の本を読んで、その感想も含め、ぜひ森さんにお願いしたい、と言ってくれた。そして書くのに苦しむと助けになるような資料も送ってくれた。できあがると、そのうち小関さんのところにいきましょう、いまはモリさんの「円朝ざんまいにはまっています」と手紙がきた。こういう人を編集者というのである。

森まゆみ

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