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地域雑誌「谷中・根津・千駄木」 23号
桜木町はいつも春だった
1990年4月3日(火曜日)発行  300円   残部僅少 -> 購入方法
23号 桜木町はいつも春だった
特集 桜木町はいつも春だった

上野桜木町はいつできたのか。「明治初年のことであるのにもかかわらず、どうもよくわからない」「多分、明治七年以降、同十一年二月の下谷区誕生以前ではないか」と「下谷 浅草町名由来考」はいう。

昔は寛永寺境内で「奥山といわれ、一面の桜で一名『桜が岡』ともいい、狐や狸の住みかであった」(上総屋さん)という。

政権を失った徳川家の凋落、上野戦争の破壊のあと、この辺は寛永寺の塔頭が並んでいた。「寺もやはり生活に困った。そこで日清戦争(明治二十七、八年)の前後に、境内を縮小して、貸地をこしらえた。その時分の地代が坪五厘」護国院先代故神田尚順さん(タウン誌「うえの」)

その寺の借地経営の肝煎りだったのが渋沢栄一と大倉喜八郎の二人の実業家。民間から初めて寛永寺の檀家となり、寺の苦境を切り抜けるに功あった。

いまの谷中墓地も芋坂への道までは(乙号地区)寛永寺領であった。「下谷浅草町名由来考」は天王寺町が「その大部分が江戸時代の天王寺境域であった」としているが、半分以上は元寛永寺の土地である。そこを政府が上地させて墓地を開き、明治二十四年に谷中村から墓地全域を天王寺町にしたのでこんなヤヤコシイことになった。

美校ができたら絵描きが増え、浅草 上野に近いので芸人が住みつき、わりと人目にたたないので寮、すなわち二号さんも多かった。一方、邸宅地で官員さんや銀行勤めの堅い人、学者も多かったという桜木町のこの微妙な混淆の世界へいざ、ご案内、ご案内。

協力
江戸のある町会(山岡まさ子会長)
上野 谷根千研究会(浦井正明会長)
船越春秀氏
高橋岩元氏
浅尾丁策氏

特集でふれた人物抜粋
船越春(王民)、蔦谷竜岬、市川団十郎(九代目)、市川左団次、大杉栄、伊藤野枝、新門辰五郎、山岡鉄舟、神田伯竜(龍)、柳家三木松、広沢虎造、生駒雷遊、尾崎一雄、沢村宗十郎、田中頼璋、戸張孤雁、武見太郎、山本丘人、朝倉文夫、宇野浩二、横山大観、伊藤痴遊、川端康成、柳亭左楽、桂文楽、都屋かつ江、清之助、バンドボーイズ、春風亭枝雀、古今亭志ん生、安藤鶴夫、春日とよ、伊東深水、小絲源太郎、サトハチロー、丹羽文雄、谷崎潤一郎、木内克、平櫛田中、坂本森一、三木武吉、松平信博、田中光顕、寺内万治郎、阿以田治修、野間仁根、大河内信敬、岡倉天心、黒田清輝、宮崎キク、長谷川利行、朝井閑右衛門、東山魁夷、広津和郎、小林秀雄、林房雄、深田久弥、堀辰雄、武田麟太郎、歌川るり子、菊田一夫、山崎剛平、浅見淵
其の23 1990.04.03
上野桜木町特集
寛永寺根本中堂屋根巴蓋−写真/須賀一
桜木町はいつも春だった
 桜木町界隈地図
 桜木町最初の住人船越春みん
 寛永寺出入りの畳屋−熊井正孝さん
 れ組の鉄五郎から日美へ−星谷安久利さん
 せがい造りだった上総屋−関盛彦さん
 井戸水の豆腐藤屋−高橋岩元さん
 桜木町の元祖お嬢様−鈴木政子さん、松本美智子さん、市田春子さん
 尾崎一雄となめくじ横丁−井上春江さん
 藤沢医院の七十五年−藤沢正輝さん
 桜木町の芸人たち−柵木和恵さん、香川靖子さん
 小唄の家元、春日とよ
 サトウハチローと平櫛田中−尾臺卿子さん
 坂本森一、三木武吉の家−高尾重子さん
 殿様作曲家松平信博−加藤勝丕さん
 浅尾佛雲堂の歴史−浅尾丁策さん
 桜木町に住んだ文士たち
 この街にこんな人(千駄木)−納豆博士−関口良治さん
 谷根千ちず
谷根千寿司処へご案内−さあさあ鮨めさい
 富久寿司、けい、魚がし、和花寿司、浜寿し、魚て津、松乃、乃池
昔の金物屋−吉田祺一郎
谷中墓地桜並木−エッチング/棚谷勲
芥川龍之介の田端−書簡 日記に見る田端の王子様(その弐)
 天然自笑軒のこと−小林泰次
谷根千紀行 大分行−野上弥生子と日暮里渡辺町
谷根千便利帳−町の美術館 博物館ガイド
確連房通信
あんな店こんな店−陶器の店 篁、ゆべし 天三味
やねせん肩入れみっつの展覧会
 長谷川建作品展、しのばず池に絵展、アパルトヘイト否!国際美術展
おたより
上野桜木 桃林堂−剪画 文/石田良介
編集後記
お知らせ
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