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地域雑誌「谷中・根津・千駄木」 15号
戊辰の年、激動の予感 彰義隊の忘れ物
1988年3月10日(木曜日)発行  300円   在庫有りマス -> 購入方法
15号 戊辰の年、激動の予感 彰義隊の忘れ物
特集 戊辰の年、激動の予感 彰義隊の忘れ物

上野の山から谷中へ歩いていくと
本当に百二十年前
ここが戦場だったのかと
不思議な気がする

主家への義によって
上野の山へ立てこもった彰義隊の記憶は
明治維新以後しばらく
新政府によって封印された

彼らは賊軍といわれ、朝敵と呼ばれ
子孫は人目を忍び
墓石にも彰義隊と刻めなかった

さて今年
百二十年目の戊辰
地域に残る上野戦争のいい伝えを
供養をかねて探し歩いてみた

実況・慶応四年五月十五日
払暁、雨の大下馬(いまの二重橋外)に官軍十八藩、一万七六〇〇名が集合。正面黒門口には薩摩を主に因州、肥後。根津方面は長州を主力に大村、佐土原。後続して本郷加州水戸邸に肥前、筑後、備前の大砲隊。迎えうつ彰義隊、谷根千付近には天王寺詰めの三百名が警戒。谷中門外から団子坂上までは小川椙太の一隊。諏訪神社は斎藤亀吉の一隊。
朝七時ごろ、湯島切通しに砲声一発。戦いが始まる。黒門では山王台から近藤武雄が四斥砲を撃つ。穴稲荷神社では神木隊浩気隊が戦砲と小銃で奮戦。谷中門・天王寺詰諸隊は優勢。
官軍は荻、岡山、佐土原、大村の援兵を茅町からくり出し、根津神社境内の彰義隊を撃破。藪下から団子坂を抜け、三崎坂へ破竹の勢いで攻め込む。藍染川は降り続く雨で大川のごとく溢れる。
狭く急な三崎坂、官軍は意の如く動けず銃が使えない。細い横道からは彰義隊の伏兵が抜刀してこれを切る。
彰義隊では伝令役の丸毛靱負(二十歳)、が、谷中方面の頭取織田主膳に、適が再び兵を合わせて来るに備え、谷中門外の空家に火をつけるよう進言。天王寺を焼く炎が天を掩う。
昼すぎ、兵力と武器の優劣は争えなかった。津、藤堂二藩が上野の雁鍋屋松源からくり出す大砲。本郷の加賀邸からはアームストロング砲の砲弾が飛ぶ。

<以下略>
其の15 1988.03.30
彰義隊特集(40p) 
表紙/「山鵑一聲」(明治7年刊)より
谷中墓地であんよの練習(昭和32年以前?)−写真
戊辰の年、激動の予感−彰義隊の忘れ物
 実況・慶応四年五月十五日
 慶喜公謹慎葵の間之事−浦井正明氏の話
 三人の薩摩藩士戒名之事−大円寺・豊田貫修氏の話
 根津権現戦争之事−小瀬健資氏の話
 川島屋米貸証文之事
 団子坂戦争之事
 永久寺焼き玉砲丸之事−平塚良宣住職の話
 東叡山焼失畧圖
 経王寺山門の弾痕之事
 ほら貝昇天之事−平塚春造さんの話
 根岸・芋坂辺之事−沢野庄五郎氏の話
 小川椙太と彰義隊墓所之事−小川潔さんの話
この街にこんな人(千駄木)−かっぱ村収入役・板久安信さん
谷根千建築紀行3−三角点にある民家−ジョルダン・サンド
谷根千ちず
郷土史発掘−最後の掛茶屋−吉村武夫
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 心に残るせんべいの味−いろはせんべい
ひろみの一日入門9−おせんべやけたかな−都せんべい(谷中)
アトリエ坂へ−諏訪優
坂のある風景−千駄木・アトリエ坂−エッチング/棚谷勲
情報トピックス
サトコのグルメストリート−遊木里、よしもと
貝塚補遺−古代遺跡は地域の宝なのダ
なるほど・ザ・まちづくり−トヨタ財団研究助成ニュース−上野・谷根千建築ラブコール (地域になじむ建て替えとは)
おたより
雪の日の日暮しの里−剪画・文/石田良介
編集後記
文化ガイド

参考文献
「戊辰物語」 東京日日新聞社会部編 1983 岩波文庫

協力
浦井正明、小川潔、星野平次郎、彰義隊墓所、鴎外記念本郷図書館

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