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第11回リヒトクライス演奏会のご案内
2004年1月31日(土曜日)
03-5936-9780(唐木) 048-874-5775(信夫)
「リヒトクライス」とは、ドイツ語で「光の輪」の意味です。合唱指揮者鈴木茂明氏が指導する5つの合唱団(混声合唱団コーロ・ソフィア、女声合唱団コーロ・コスモス、しおさい、大井しらゆりコーラス、筑波大学混声合唱団)が合同でお届けするのが、リヒトクライス演奏会です。
リヒトクライス演奏会では毎回、合唱曲「水のいのち」「心の四季」などで広く知られる高田三郎氏の作品を演奏しています。高田氏の作品は日本語と音楽が密接に融合し、日本語が生き生きと表現されています。また、用いられているテキストの精神性・文学性が非常に高く、日本の様式性、時代性、民族性が深く内包されています。
「この高田作品の感動を少しでも、日本、そして世界に伝えたい」との思いから、1992年に高田作品のみによる演奏会「リヒトクライス演奏会」を開催いたしました。依頼、10年間毎年開催を重ね、高田作品を掘り下げ続け、今に至っております。幸いなことに多くの皆様に演奏をお聴きいただき、多数の賛辞をいただけるようになりました。
今年度も、2004年1月に第11回となるリヒトクライス演奏会を開催いたします。是非一度、高田作品のすばらしさをお聴きいただければと思います。

また、2004年5月にはパレストリーナ音楽財団(注)の招聘により、2度目のイタリア演奏ツアーを行います。これは、1996年に行った1度目のヨーロッパ演奏ツアーにおける高田作品の演奏が高い評価を受け、再度の渡伊を招聘されたものです。もちろん、この2度目のツアーにおいても、高田作品をもって望みます。高田作品を演奏することにより、イタリア、日本の音楽を比較し、「日本語の合唱曲」の芸術性の高さを示したいと考えております。今回(第11回)リヒトクライスでも、その先触れとして高田作品とパレストリーナの比較に挑戦します。お聞きいただきたいと思います。

(注)ルネサンス時代の大作曲家、パレストリーナの業績を記念し設立された財団であり、パレストリーナ研究の中心的団体



音楽監督 鈴木 茂明からメッセージ
〜「水のいのち」と「第九」〜
(第10回リヒトクライス演奏会(2003年)プログラムより)

高田三郎先生の傘寿をお祝いしてスタートしたリヒトクライス<光の輪>演奏会は、お陰様で10回目を迎えることとなりました。先生が帰天される直前まで、殆どの団員と私は作品の解釈や演奏法について細やかにご指導いただきました。その貴重な時間の中で、人生におけるかけがえのない多くの示唆をも頂いたことに心から感謝しています。またその間は、ことばと音楽の密接な結合が魂に及ぼす大いなる力を体験させられた年月でもありました。
 そもそもこの演奏会の発端は、ベートーヴェンの「第九交響曲」でした。以前から「第九」を歌い、聴きに行く大勢の人々を見て、日本人が心から理解できる邦人作品を毎年歌う演奏会があっても良いのではないか、否、なければいけないと考えていたことに始まります。そして、それこそ高田作品であり「水のいのち」であるとの思いが募り、私がやらなければと、いわば日本人音楽家の一人としての使命感に燃えてスタートしたのでした。幸い、私の指導する合唱団もその意義に快く賛同し、日本のために共に高田作品を継承しようと結束したのです。さらに二つの作品には根元的な共通点があることにも気づいたのでした。
 19世紀初頭のウィーンでは、フランスでの革命後も封建制度が根強く残り、貴族と民衆の間には多くの格差がありました。そのような中、神によって造られたすべての人類は皆平等である、といった思想の盛り込まれた、文豪シラーの詩に作曲されたのが「第九交響曲」の第4楽章「歓喜に寄す」だったのです。そこにはやはり被造物である大自然への賛美と人間の尊厳、自由、平等、博愛が歌われています。
 一方、「水のいのち」が誕生した20世紀中頃の我国は、経済の成長も著しく暮らしも豊かになりつつありましたが、唯物的、享楽的な傾向も見逃せませんでした。その光景を目のあたりにした高田先生は、それらとは相対する、精神に目を向ける曲を作ろうとされたのです。すべての命の源である<水>の営みに、人間の生きる縁を見い出した高野喜久夫雄氏の詩は、私たちに内在する願い、祈り、勇気、高みに焦がれる精神が歌われています。約150年の隔たりのある作品に共通することは、それぞれの時代に流れる大きな波に身を委ねるほかはない私たち人間に、精神の目覚め、自己との対話、生きる勇気と活力を促し、さらには超越者への焦がれが描かれた点ではないでしょうか。思えば、高田先生は「ベートーヴェンのシンフォニーを聴いて、自分もこのような曲を作ってみたいと作曲家を志した」とのことでした。
 この数年来、イタリア、アメリカ等がその作品の真価に注目し始めた高野氏の詩は、人類の奥深くに流れる源流を感得させるような日本の「文学」であります。その詩を生かすために推敲に推敲を重ね、日本語による「文学」と「音楽」の高次での融合を成功させた高田作品は、正に至高の芸術作品と言えるでしょう。音楽様式の規模やジャンルは違っていても、作品の持つ高貴な精神性、芸術性において「歓喜に寄す」に匹敵する作品であるといえるのではないでしょうか。「人間を真の意味で導くことができるのは芸術家である」とショーペンハウアーは語っています。
 本日は、リヒトクライス<光の輪>にとり、この10年間で6度目の「水のいのち」の演奏になります。スタート当時は毎年歌うつもりで始めたのですが、4年連続して演奏するうちに大きな問題が浮上し断念しました。回を重ねる度に知らず知らず「慣れ」という罠に陥る恐れがあることを感じたからです。慣れれば歌える程度の内容の作品ではないことを思い知らされたのでした。しかしながら、私たちは敢えてできる限り歌い続けたいと願っています。常に新しい発見を模索しながら、さらには表現手段としての発声法を一層磨き、芸術合唱作品としての更なる演奏法を見いだしていきたいと考えております。
 ご承知のように、演奏会は聴衆の皆様があって初めて成り立つものです。日本の類い希な芸術合唱作品を未来の人々に正しく伝え残すためにも、皆様のご理解とご協力を頂きながら演奏し続けなければならないと、10周年にあたり新たな決意に満ちています。今後も、皆様と年に一度<魂の熟成の時>を共有できますことを祈っています。


第11回リヒトクライス演奏会 概要

公演日:2004年1月31日(土)
開演時間:14:00 (開場13:30)
会場:文京シビック大ホール

演奏曲目:
女声三部合唱組曲「確かなものを」
混声合唱組曲「心象スケッチ」
典礼聖歌とモテット(パレストリーナ作曲)
混声合唱組曲「水のいのち」

指揮:鈴木茂明
オルガン:木島美紗子
ピアノ:滝田祐子、池田悦子

10周年を終え、11年目となる今回の演奏会では、高田氏作曲による典礼聖歌と、同テキストによるパレストリーナ作曲のモテットを演奏し、比較するという新しい試みに取り組みます。パレストリーナ作品の背景に潜むイタリアの様式性、時代性、民族性と日本のそれらを比較する試みです。

お問い合わせ/03-5936-9780(唐木)048-874-5775(信夫)


これまでに頂いたお客様のメッセージ

加藤 信朗 様(哲学者)
高田作品は、すぐれた現代詩のいわば本質をつかみ取り、それを音楽として見事に造形している。詩は音楽である。そして、音楽は詩なのだ。それが人間の心をその奥底において形作る。
今日、教育の荒廃が世に嘆かれている。しかし、ギリシャの哲人プラトン、アリストテレスが教えるように、教育の基礎は正しい音楽教育にある。そしてその中心は歌曲にある。心底から唱和しうる歌謡を共有することなしに人の心に協和は生まれない。そして、心の協和はないところには真実国家共同体もない。

島田 三樹彦 様(劇作家)
 私にとって、リヒトクライスの定期演奏会はなくてはならないものの一つである。高田三郎作品を聴くことによって、私の汚れた心が洗い清められるからだ。心というのは意外に汚れやすいものだと知った今では、心の健康診断「年に一度はリヒトクライス」を心掛けている。

高野 喜久雄 様(詩人)
 人間の愚かさと出口の見えないこの混沌の中にあって、地上に真の覚醒をもたらすための音楽を、と常に願い続けた師の志をしなやかに引き継ぎ、その揺らめく灯火を手にかざし、まもりつつ進む人々。その歌声はいま、聴く人々の心に確かに引き継がれます。
 一つ一つの灯火は小さくても、そこにはいつも天にささげられた大きな<光の輪>ができる。私たちのリヒトクライス!まさにこれは<希望>です。涙が涸れるほど歌ってください。涙が涸れるほど聴きましょう。まさにこれは<仕事>です。自分は誰であったのかを、間違いなく思い出すための・・・。
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鈴木弘明2004年1月14日(水) 17時41分
昨年、拝聴させていただきました。 アンコール曲の“来なさい”とのささやきを聞き、 何とも言えない気持ちになりました。 何か、“すべてをお任せする”というのは、その曲が教えてくださるように感じ、帰路につきました。
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