昨日の日記は何が言いたいのか
分からなくなってしまいました。
久々に書くとダメですね、やはり。
友人が衣装を担当していて、
宇野亜喜良さんデザインのチラシにトキメキ、
観に行くのを楽しみにしていました。
久々に足を運んだこまばアゴラ劇場、
狭い劇場は超満員。
すごい熱気でした。
岸田理生アバンギャルドフェスティバル(リオフェス2009)ということで
岸田さんの作品をさまざまな集団が連続で上演。
青蛾館のこの作品は一番ラストの目玉。
今更
寺山修司に惹かれてるのに
映画の“上海異人娼館”はまだ見ていない。
映画は見ていなくても
この作品の舞台化が容易ではないことは窺えた。
舞台には“舞台の力”があるので
まったく別のものと考えた方がいいのはよくあること。
今日の舞台にも
有無を言わせない力がそこにはあって
いろんな思いが交叉して
舞台上で繰り広げられている事柄を超えたものが
劇場空間に浮かんでる。
そんな感じ。
自分でも驚くけど
今まで岸田理生さんの作品に触れたことがない。
如何にこういう世界を避けていたか…。
学校の授業で寺山映画を見た時、
どうしても受け入れられず吐きそうになったのを覚えている。
なのに、今…
なんでだろう?
今回衣装を担当していた友人から天井桟敷のCDを借りた。
1978年に上演された“身毒丸”。
音楽が言葉がうねる。
洋楽器、和太鼓、オペラ歌手、三十弦筝、
そして'''琵琶'''。
ありとあらゆる音が聴こえてくる。
一見するとあり得ない。
なのに、ひとつの世界を織りなしている。
台本……寺山修司+岸田理生
とある。
70年代、こんな人達がモノを創っていた。
ため息。