一枚の「覚書」を見せてもらったのは7月末のことで、日付けは平成十三年四月八日(今回公開している「覚書」と同文で、公証人の印だけがないものです)。
同じころ、「諏方神社の境内がなくなるんじゃないか?」という問い合わせの電話がわずかだが編集室にかかってくるようになった。しかし、日暮里、谷中近辺で尋ねても諏方神社の異変を知る人はほとんどいないのが不思議で、谷根千工房では次号の取材のために、「覚書」に名を連ねる方に聞き取りを始めています。
今回、西日暮里3丁目の氏子を中心に「諏方神社を考える会」が発足し、会よりの依頼で広く諏方神社の現況をお伝えすることにしました。
今回の計画についてのご意見、またはご存知のことがありましたら、ご意見、情報提供よりお知らせ下さい。
諏方神社を考える会(仮称)のレポート