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古書ほうろうの 2002年6月の一冊
「THE 文京区」 発行:(株)エルフ 発売:文京図書
「THE 文京区」  発行:(株)エルフ 発売:文京図書

 今回暗礁に乗り上げた「今月の一冊」では、徳永直の『太陽のない街』を紹介するつもりでした。小石川の共同印刷所で大正15年に起こった大ストライキを題材にとった小説です。文章を書くために再読する間、常にそばに置いて参照したのがこの本で、「今月の一冊」には使えないけど、ちょっとだけ何か書いてみたくなったというわけです。この本については、発売された際、そこここの本屋さんで平積みになっていたこともあり、ご近所の方々にとってはとうにご存じのものとは思います。「僕はこんな風に使っていて、とても重宝している」という個人的な報告として読んでいただければ幸いです。また、文京区とその隣接地域以外に住んでいる人たちには意外と知られていないかもしれず、そういう人たちに対しては、「こんなのありますよ」という紹介になるのでは、とも思います。

 まず最初に、この本について簡単に説明しておきます。
 大きさはやや縦が短いA4といったところ、『るるぶ』などと同じサイズで、実際パッと見も(写真こそ使ってませんが)似たような雰囲気です。しかし「生活情報版オールマップ」という副題が示す通り、基本的には地図です。最初のページこそ目次で、その次も文京シビックセンター配置図だったりしますが、その後はこれでもかこれでもかとばかりに見開きに地図が続きます。その数27枚。そのどれもが同じ縮尺の文京区の地図です。そしてそのそれぞれにそれぞれの役割が課せられている、というわけです。
 具体的にいうと、例えば「金融機関」という地図。ここには区内にある全ての銀行や信用金庫の場所が太字で記載されており、「振込先は東京三菱って書いてあるけど、家から一番近い支店はどこだっけ?」などという状況の時に便利です。このグループには他にも「保健所・病院・医院」「歯科医院」「24時間営業の店」などがあり、「レンタル・リサイクル」のページには『古書ほうろう』もちゃんと載っていて嬉しくなります。車に乗る人には「交通規制」「駐車場」が役に立つでしょうし、乗らない人には「交通(鉄道)」や「交通(バス)」がちゃんとあります。「住所の表示」ではすべての番地がきちんと記載されて、住所を頼りに目的地に向うときには欠かせません。また「オアシスマップ」などというものもあり、区内の公園と主だった街路樹が案内されています。ハナミズキとかヤマモモといった文字が地図の上を踊っていて、何だか楽しい気分になります。
 もっともこれまで挙げてきたようなものは、あくまでも副題通りの生活情報、実を言うと僕もそれほど使っているわけではありません。この本の肝は別のところにあります。

 それは「自然地形」「坂マップ」そして「旧町名」の3つの地図です。この3つがあると、現在の文京区(旧本郷区、小石川区)が舞台の昔の小説(たくさんあります)を読むとき、楽しさが増し、理解が深まります。ひとつづつ説明していきましょう。

 まず「自然地形」。ご存じの方も多いでしょうが、文京区は山あり谷ありの土地です。より詳しく言うとこんな感じになります。「文京区も含まれる山の手台地は、大きく見れば西の奥多摩から東へ、なだらかに傾斜する武蔵野台地の東端に位置する。日暮里駅付近に見られる長い直線的崖線が、下町低地との境を明瞭に示している。文京区の南端を西から東へ流れる神田川の谷と、かつて神田川に流れ込んでいた河川が作った侵食谷が、北西から南東へと台地を刻み、山の手台地面を6つ(本郷台地、白山台地、小石川台地、小日向台地、関口台地、雑司ヶ谷台地)にわけた。その境目となる谷には、茗荷谷、千川通りなどの地名が今も残されている」。これは欄外の解説から引用したものですが、そんなでこぼこした文京区が一目でわかる優れもの、それが「自然地形」の地図です。区内全域を0〜10m、10〜20m、20〜26m、26m〜の4つに緑の濃淡で色分けしてあり、本郷台地の西側のように、かなりいびつな凹凸をした地形も、手に取るようにわかります。

 今と違って昔の人は結構長い距離を歩いています。小説の登場人物たちももちろんその例外ではありません。交通機関が整備されてくるにつれ、路面電車に乗る登場人物の描写なども増えていきますが、それでも現在に比べればよく歩いています。この地図は、そんな彼らや彼女らが歩いた地形の様子を、俯瞰的に頭に入れておくことを可能にし、物語に入っていくなかで想像をふくらますときの助けになります。(実用という面では、例えば自転車で目的地に向うときなどに、少々遠回りになってもよいから坂の上り下りは避けたいというときにも便利なのですが、それはまた別の話ですね。)
「坂マップ」は、僕のなかでは「自然地形」を補完するもの、という位置付けです。地図上の坂道に赤で矢印が書かれていて、坂の長さと、どっちに下っているかがわかるというものです。それぞれには番号が振られていて、欄外の一覧と照らし合わせれば名前も一目瞭然。脳みそをフルに使えば、この地図からもある程度は地形を浮かび上がらせられますが、まあそれはちょっと大変でしょう。坂の名称やその由来に興味を持ったときのための、14ページに及ぶあいうえお順の坂事典(のようなもの)も付いています。

 そして「旧町名」。これに関しては特に説明の必要はないでしょう。昭和30年代の町名が境界線とともに記されている地図です。昔からこの土地にお住まいの、ある一定以上の年齢の方々には何の問題もないのでしょうが、現在の味気のない住居表示になってからこの土地にかかわるようになった者にとって、なかでももともと東京の住人ですらない僕などにとっては、旧町名というのは大きな壁です。そして昔の小説を読むとき、その壁はもっとも高く聳えたつのです。現在自分が住んでいる「駒込林町」、お店のある「駒込坂下町」など、身近な場所に関しては大丈夫なのですが、ちょっと離れるともう駄目です。「久堅町」?どこ?「初音町」?谷中の?なんてものです。そんなときこの地図が役立ちます。索引も欄外についていて、すぐにそれがどこだか教えてくれます。

 さて、以上説明してきたように何かと役に立つこの本ですが(ちょっと褒めすぎ)、こんなところで紹介を終りたいと思います。本当に一度、この本をそばに置いて、かつて読んだことのある小説を読まれてみることをお薦めします(もちろん現在文京区である土地が登場するものに限りますけど)。自分の話で恐縮ですが、4月の「今月の一冊」で紹介した広瀬正の『エロス』、そして今回の(結果的にはモノになりませんでしたが)『太陽のない街』と、いずれもかつて読んだときには読み流したような部分が、きちんと頭に入りました。もちろん、以前に比べてそれらの舞台となる場所が自分にとって身近になった、ということもあるとは思いますけどね。「自然地形」にせよ「坂」「旧町名」にせよ、この本のなかのものよりももっと詳しく優れた資料はたくさんあるはずです。より深く知りたくなったときには、図書館などでそういったものに当ればよいでしょう。ただ、それらが一冊の本にコンパクトに収まっているものはあまりないと思われ、その点がこの本の長所になっています。あとこれは余談ですが、月刊『東京人』の1997年1月号(特集「都電のゆく町」)に付録としてついていた「昭和25年都電路線図」をはさみ込んでおくと、より使い勝手がよくなります。お試しあれ。

 この本の発売元である文京図書はどうやら白山の南天堂書房さんのようです(連絡先が南天堂内となっています)。電話をして確認してみたところ、現在でも在庫はあるそうで(出版されたのは確か3年ほど前です)、少なくとも南天堂さんに行けば入手出来ます。遠方の方で興味をもたれた方も、一旦そちらに連絡されるとよいと思います。

 文京図書(南天堂書房内):文京区本駒込1-1-28  tel.03-3811-2428

(宮地)

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