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古書ほうろうの 2001年11月の一冊
「嗤う茶碗 野人・上口愚朗ものがたり」 片山和男編
「嗤う茶碗 野人・上口愚朗ものがたり」 片山和男編
淡交社(ISBN:4473015696) (平成9年9月23日初版発行 ほうろう売価 ¥1000)

上口愚朗 かみぐちぐろう(本名作次郎)は明治25年台東区谷中生れ。
天然色、手紡ぎ、手織りのホームスパンなど生地や付属品は英国直輸入、「店に来ないと作らない。国産生地は使わない。値段は聞いてくれるな。」の三大方針を掲げ、どんなに脱ぎ捨てて置いても型くずれせず、世間の洋服の4、5倍の手間をかけた洋服を仕立てる、日本一の高級洋服屋「超流行上口中等洋服店」(中等はしゃれですって)を谷中に開くが、戦後「自分の生まれた上野の山の粘土ではどんな茶碗が焼けるか」とさらりと陶芸家に転じ、独自に窯を作り、古陶の研究、再現を試み、「野獣派陶腕、愚朗焼」を完成。また絵画、作庭、盆栽などの趣味的世界、下駄やラジオ、古陶磁などのコレクション、ことに和時計の収集に熱心で、なかでも江戸時代に大名お抱えの御時計師達によって製作された、世界でも類を見ない優れた美術工芸品としての和時計を「大名時計」と命名、生涯をとおしてその研究、保存に努めたことでも知られる。昭和45年没。古くから谷中に住む人たちには、「谷中の奇人」として有名とのこと。現在、時計コレクションは子息の故・等氏によって開かれた大名時計博物館に収蔵、展示されている。

谷根千9号(品切れ)でも「町の小さな博物館」として紹介された大名時計博物館ですが、谷中2丁目、根津から行くと三浦坂を上りきった角の一帯、極私的に申せば「うちの目の前」にあります。私は今、縁あって博物館裏手のアパートに住んでいるのです。
背の高い石塀に囲まれたその邸は、木々がうっそうと茂り、昼でもあまり陽がささず、庭の草はボーボー、かつて「愚朗天宿 ぐろてすく」「おばけ屋敷」と呼ばれていただけの異様さをどことなく今も称えて、周囲の住宅からは浮いた空間ではあります。
でも、私は4年前初めてここを訪れた時から、その一見古びて荒れて寂しいような佇まいにも「現し世のことなんて知らないよ。」とばかり、奔放、闊達、荒れるもよし、枯れるもよしの心意気(?)を見たような気がしてわくわくしましたし、展示室を満たす、あの、長い時を経てなお変わらずあり続けるものだけが持つ、しんとした静けさにしびれ、時計を前にしながら時間を忘れてしまったものです。 以来今日まで私は、その、ストンと潔く孤独な空気をまとった邸を窓の外の日常とする日々を送ってきたわけですが、遅まきながら本書から、そもそもの邸の主、上口愚朗さんという人物を知ることになったのです。

店の戸を開けると、頭上で釣鐘が「ゴーン」と大きな音で鳴り多くの人達を驚かせた。外観は丸太小屋風の造りで、トーテンポールが玄関の入口に立ち、屋根の上には大きな顔の奇人が上半身を出して下を見下ろしているといった異様な感じのする家で、誰いうとなく「谷中のグロテスクな家」と呼ばれ、「愚かで朗らかな天の宿」と書き、「愚朗天宿ぐろてすく」から「愚朗」と雅号をつけ、やきものは「愚朗焼」となった。

「ウンコ哲学」(トイレに入る時は流行も流派もなく、本音と建て前もない。生まれたままの自然な姿で、他人に見せるわけでもない。これが真の芸術である)を論じ、自ら「雲谷斎うんこくさい愚朗」と称し、昭和34年タウン誌『うえの』の記者に答えて曰く「うんこを垂れるあの気持ちだ。堅からず柔らかからず、ロクロの廻るにまかせて、なんの技巧もなく生まれてくるのが、ほんとうの茶碗だな。」

庭の一角に自ら発明、創作した、廻る茶室「目眩めまい庵」
風向き陽の向きにより家を自由に廻して調節できるとは将に画期的発明で、一大住居革命。速く廻せば目も廻る気も遠くなる。
椎の大木に梯子をかけて登る、樹上の茶室「巣寝すねる庵」
櫨紅葉の秋色を眺めながら番茶を。

これらは、なにかと取り沙汰される「奇人」ぶりを伝える逸話でありますが、多くの後援者がいたのに対し、その毒舌も手伝ってか、なかには「奇をてらっている」と愚朗さんを嫌う人もいたのだそうです。でも、どうでしょう、そんな世の奇人のレッテルは計算済みであって、なお人をあっと驚かせるのが大好きだったのではないかしら、私にはそんな姿に映るし、愚朗さんのいたって健康なナイーブさを知らされたような思いです。

そしてまた、本書後半に収められた研究論文の数々、それらが伝えるのは、やきものに対する凄まじいまでの情念とでも言ったらいいでしょうか、そこには求道者の姿すら重なります。
絶えず試行錯誤した古陶の再現、また陶芸界の真贋にわたる論争を引き起こすことにもなるやきものの化学的研究、さらには同時代の陶芸作家の作品評や自らの茶碗についてをどう見るのかなど、諸雑誌に発表されたそれらの論文が専門の世界に益するところの大きさを、残念ながら陶芸の知識のない私が理解することはできません。けれども、やきものについて論じられているその端々には、読んでいてなにかドキッとさせられるような警句を見てとることもできるのです。

日本の陶芸は、機械時計のなかった桃山時代までは優れていた。それが、江戸時代になって「大名時計」ができてからは、その進歩につれて退歩の度を早めてきた。その反対に進歩したのは、人類を滅ぼすための科学兵器で、世界が二つに分かれて争っている。
命を削る時計の針に、一日中引き回されている現代人。
大名時計−−時間などはどうでもよいのだ−−を眺めていたら、機械の奴隷から逃れて、命がのびるだろう。
歯車の谷間のレジャー文化人!
時を忘れる時計が、現代人には、ますます必要となってくると同時に、原始製作による古代陶の再現も必要になってくる。
(『日本美術工芸』昭和38年9月号 続・陶狂のネゴト 抜粋)

最善をつくして成型し、窯詰めすると、そのあとは窯の神様におまかせして、薪を焚くだけである。「焼けてビックリ玉手箱!」。どんなものが出ようと、腹は立たない。そのかわり、思いがけないよいものが出た時のうれしさは忘れられない。全く窯の神様のお恵みである。愚老は、残り少ない人生で、窯にはいって焼かれるまで、この道楽はやめられない。
(『日本美術工芸』昭和38年4月号 井戸茶わん論 抜粋)

「やきものは窯から出なければわからない 人間は窯に入らなければわからない 愚朗」
本書装丁帯にはこのような句が記されています。これは、生前から葬式などの儀式一切を禁じた愚朗さんの死に際して、御家族がその遺言を堅く守って、近親者だけの密葬の後、ごくかぎられた知人だけに送ったとされる死亡通知に添えられた句であった、ということです。

最後になりますが、実は今回この『嗤う茶碗』を読んだことをきっかけに、先日、現在大名時計博物館の向かいにお住まいの愚朗さんの御長女・片山服恵さん(夫は本書編者片山和男さん)にお話をうかがうことができました。
ぶしつけと知りつつ「家族の中ではどんなだったのかしら」とか、「どんなごはんを食べてましたか」など他愛もない質問を投げかける私に、お気を悪くされることもなく、「父のことを思い起こすのは自分でもうれしいことだ」と、いろいろな話しをお聞かせいただけて、ついつい時間を忘れる楽しい夕でした。感謝いたします。
その時の話しを以下に紹介してこの稿を終わりたいと思います。

「愚朗さんのこと」
9時に寝て4時に起きる規則正しい生活、手紙をよく書く人だったので、朝一番で必ず自分で出しに行くのが日課。

食べ物は玄米のおかゆに大豆、きなこ、すりごま、ひじきなど中心、今で言う自然食。青汁も庭でケイルを栽培して毎日必ず飲んだ。「よく噛んで食べる」がきまりで、家族みなでゆっくり時間をかけて食事をした。外食はなし。というか、展覧会へ行く以外ほとんど外出がなく、その時は決まって三越食堂の中華そば。

奇人、奇人と呼ばれたけれど、芸術家にありがちの気難し気で自分勝手な振る舞いなどなかったし、人にいばることもない。一般的な明治生まれの父親よりずっとやさしい人だった。例えば、どんなに忙しくしていても、食事の時間には、きちんと食卓につく。食事が冷めたらおいしくないし、作る人かたづける人の手間の為にも一時にみなで食べるもの、という考え。料理に文句を言わず、失敗してもほめてくれた。風呂の順番も気にしないし、叱られたという記憶がない。

戦時中の物のない時代は、配給制になるより早くから炭や衣料品などまとめて買っておいたので困らなかった。特に子どもたちの衣料は成長に合わせてサイズを揃えて買っておく周到さ。

古いものを大事にし、できるだけ原始的な生活をしたが、新しもの好き。ラジオ、蓄音機、自転車など何でも流行する前に手にしたがはやると止めてしまった。テレビは時間がないので見ない。(一度だけ「小川宏ショー」に出演した時は、どんなもんかと見てみたとか)掘りごたつ、あれは愚朗さんの発明だそうで、新聞が取材に来たんですって。

●大名時計博物館 台東区谷中2-1-27
(地下鉄千代田線 根津駅より徒歩10分 JR 日暮里駅北口より徒歩15分)

開館日 1月15日〜6月30日 10月 1日〜12月24日
休館日 月曜日
7月 1日〜9月30日 12月25日〜 1月14日
開館時間 午前10時〜午後4時
入館料 300円

「かつての愚朗天宿、庭の草はボーボー」と書いたその庭は、「それでもかつては毎日草を刈ったのだ」と服恵さんはおっしゃいました。
でも、徹底して管理し作りこむ日本庭園の様式美とは対極の自由奔放さで、今のその、ありのままにおおらかに野趣溢れる姿を私はとても好きです。

神原

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永瀬雅子2005年3月21日(月) 23時02分
大名時計博物館のアパート、古い古い、青春の友、大沢民子さんが住んでいたところ、気に入ってたところ、30年前、何度か訪ねたところ、なつかしい、、、より民子さんどうしただろう、、、、遠い日をたぐりながら、、、上口愚朗物語を読みました。
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