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古書ほうろうの 2001年9月の一冊
「春泥・花冷え」 久保田万太郎 (岩波文庫)
「春泥・花冷え」  久保田万太郎 (岩波文庫)

 久保田万太郎は明治22年(1889)浅草の商家(煙草入れの袋の製造業)に生まれ、 昭和38年(1963)市ヶ谷の梅原龍三郎邸で赤貝を喉に詰らせて亡くなりました。慶応 義塾に在学中の明治44年『三田文學』に発表した小説『朝顔』で文壇に登場し、以後 一貫して東京の下町(より限定するならば浅草を中心とした隅田川の両岸の町々)と そこに暮らす人々の生活を描きつづけました。小説家であると同時に劇作家でもあ り、時には舞台の演出も手がけ、またそのかたわら俳人でもありました。

 僕が初めて手にした万太郎の本は中公文庫版の『火事息子』で、それは古本屋の仕 事を始めてまだ間もない頃、店に入ってきたのでした。作者の名前と題名の組み合わ せが何となく可笑しく、小さく薄っぺらいその本の佇まいとも合わせ「これは読まね ばなるまい」という気持ちにさせられたことを憶えています。それっきり読み返すこ ともなく内容については大方忘れてしまっていたのですが、以来「久保田万太郎」と いう名前は僕の中で好ましい印象とともにありました。そして今年の7月、本駒込図 書館でなんとはなしに借りた岩波文庫の『末枯・続末枯・露芝』をきっかけに本格的 にその世界に惹かれていき、今回ここで取り上げようと考えるに至ったのでした。

『春泥』は昭和3年、万太郎39歳の作品で『大阪朝日新聞』に連載されたものです。 当時関係が深まりつつあった演劇の世界を題材とし、新派の人々の生活が震災後の変 りゆく東京を舞台に描かれています。向島、矢の倉(現在の東日本橋1・2丁目辺 り)、浅草。それぞれの場所で登場人物たちが話し思うことは「変った」こと、そし て「酷くなった」ことです。物であれ人であれ風景であれ、かつてそこにあったもの がなくなり、なかったものが現れ、それにつれて暮らしのスタイルも変っていく。変 ってしまったその姿は、現在の僕たちの目から見れば少しも酷くなく、まだまだ素晴 らしいとさえ思えるほどですが、そういったいわゆる「江戸」的なものが消えていく ことへの寂しさが小説全体を覆っており、それと微妙に絡まり合いながら物語は進行 していきます。

 この作品を書いた頃、万太郎は日暮里の諏訪神社前に住んでいました。そのことは 昭和13年に出た単行本『春泥・花冷え』の後記でも触れられていて、「浅草田原町 の、わたくしの生育したところのつぎに、おもひでの深い、忘れることの出来ないと ころ」だと云っています。おそらくそういった気持ちもあってのことなのでしょう が、最後の「夕焼雲」の章では、谷中天王寺の五重塔から道灌山にかけてが舞台に選 ばれています。語られるのはやはり「変った」ことです。以下少し引用します。

 ……その坂は盡きた。が、それよりも、もつと廣い、埃つぽい傾斜がすぐまた三人
のまへに展けた。――それを上りつめたとき、三人は、省線電車の間斷なく馳せちが
ふ音響を脚下に、田端へつゞく道灌山の、草の枯れた崖のうへに立った。――み渡す
かぎりの、三河島から尾久へかけての渺茫とうちつゞいた屋根々々の海。――その中
に帆柱のやうに林立する煙突の「新しい東京」の進展を物語るいさましい光景……
「変つたなァ。」と歎息するやうに三浦はいつた。「知るめえ、お前なんぞ。――つ
いこなひだまで、こゝいら、ずつと荒川のふちまで一めんのもう田圃だつたんだ。」
「一めんのねえ。」遠く田代も眸を放つた。
「三月から四月にかけての菜の花のさかりのころなんぞつたらなかつたもんだ。」
「菜の花のねえ。」

 さて、この作品は現在本屋さんで普通に入手できるという訳にはいかないようで す。今回紹介した岩波文庫版は現在は版元品切れ中。いずれまた復刊されることもあ るでしょうし、神保町でならお金さえ出せば比較的簡単に見つかりますが(1000円く らい)、まあ読むだけなら図書館で借りるのが現実的だと思います。ちょっとした図 書館なら全集が一揃いあるはずです(この辺なら本駒込にも鴎外にもあります)。 『春泥』以外では噺家の世界を描いた『今戸橋』『末枯』『続末枯』が特にお薦めで す。あと『寂しければ』も。いい感じの小料理屋が出てきて飲みに行きたくなりま す。ぜひ御一読を。

(宮地)
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