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古書ほうろうの 2001年8月の一冊
「ボタン落し 画家鶴岡政男の生涯」鶴岡美直子
「ボタン落し 画家鶴岡政男の生涯」鶴岡美直子
美術出版社 ¥2800

 著者は谷中三先坂下にてアフリカ居酒屋“バオバブ”を営んでいる。のほほんとし たつかみどころのない彼女の人柄に惹かれて私も行きつけるようになったのだが、そ んなママさんのお父上が、こんなにももの凄い方であったとは、本書を読むまでは露 とも知らずにいた。

 鶴岡政男。画家。

 戦前、自由な表現を求めて大平洋画会研究所を追放された気概は、東京大空襲によ りほとんど全作品を焼失。本人も中国の戦場で赤痢に苦しみマラリヤに罹り、九死に 一生の帰国。ヒューマニズムと戦争との矛盾にずっと悩まされ続けた画家の眼には、 終戦後の焼け野原は復興の希望よりむしろ、不安や虚しい喪失感として捉えられてい たにちがいない。それは上野の山や地下道に集まった被災者や浮浪者、戦災孤児、傷 痍軍人らから発せられた時代の空気として、代表作『重い手』(表紙の絵:昭和25年) にずしりとのしかかっている。

 「我家の玄関は開きもしなければ閉じもしない。オーバーを着て着膨れした来客は 横になって通るからボタンが玄関にひっかかり『ボタン落しの難所』と呼ばれた。」

 昭和20年、焼け出された一家は谷中上三先南町四十四番地のおんぼろ長屋で暮しは じめる。これが現在どのあたりになるのか、不勉強な私はなんら確認をとってはいな いのだが、昭和19年生れの著者が記憶を辿りつつ描く往時の谷根千界隈の風景はどこ も昭和の懐かしさに満ちており、また現在の様子を知っている場所も無論多々あって、 多少読みづらい文章であるが想像を巡らせながら“東京(谷根千)もの”としての楽 しみも味わうことは可能だった。でもそれより興味を引いたのはむしろ、「ボタン落 しの難所」を訪ねて来たり幼少の著者が訪ねて行く人々の豪華さ、多彩さだ。この人 も、こんな人も、と驚かされつつ、それがちゃっ、とひとことで片付けられているの も面白い。おそらく著者が当時の少女の目で見たままに書いたのであろう。幸田文や 吉本隆明のエピソードはむしろ微笑ましさを感じる。また草間彌生のエピソードにつ いては後の著者の感慨が語られており、こちらもまた興味深い。

 また蛇足ながら「ボタン落し」を訪ねて来た者の中に上口愚朗の名もみえる。こち らは私の大家さんの先代で、こちらもその奇人ぶりと天衣無縫の陶芸家としてつとに 有名(『嗤う茶碗 野人・上口愚朗ものがたり』片山和男[編]淡交社 本体1300円   についてはいずれこのコーナーで紹介されるでしょう)。で、こちらの名前が本 書『ボタン落し』では上口‘偶’朗になっているので、それだけ訂正しておきたく (こういうのって出版者に知らせたほうがいいのですかね)。また、著者が幼少時の エピソードで私のいちばん好きなものに、父親から「芋甚」にアイスキャンディーを 買ってくるよう使いに出されるくだりがある。アルマイトの弁当箱にキャンディーを 入れて持って帰る途中、ふたを開けてみるとなんと溶け出しており、慌ててぺろりと 一本なめてしまうと、他のと形が違ってしったので、とうとう七本すべてなめてしま うという、冬野さほのマンガにでも出てきそうな、なんともまぁるいおんなのこがい たわけだが、彼女がアイスキャンディーを慌ててぺろぺろしていたのが上口邸の門の 前で、後日私もその場所で、幸せな気持ちで(なおも感慨深く)煙草をくゆらせてみ た。私事、そこは家からスツールと鏡を持ち出して、私が(神)に散髪をしてもらう あたりなもので。

 さて、その後の画家はというと、家族の許と恋人たちの棲み家を驚くばかりの活力 で慌ただしく行き来し、あるいは一人、出前絵描きの放浪、あるいは大都市東京のア ンダーグラウンドな夜毎、週末のパーティー、唄い、一晩中ボンゴを叩き、ジャズ、 フリーセックス、女たちの声をテープレコーダーに録音し、再びキャンヴァスへと向 かう。生の解放を希求し、社会の虚を暴き、すべてを体験し体現してゆく。(そんな 画家のパワーは『路上』の主人公ディーン・モリアーティに似て、ビートフリークの 山崎にとってはたまらない生き様でもあるのだな。)そんな生き様が、著者の成長と ともに様々な昭和の事件や風俗もからめて語られてゆく。おそらく戦後焼け跡のどん 底と貧苦から、重い手は、自由を求めて生きる力を掬いとることができたのであろう。 1979年、72歳で永眠するまで、昭和という時代を力の限り闘い、生き、駆け抜けた画 家の生涯は、何ひとつ知らなかった者の心も魅了してやまないのである。

「無言で喘息の舌下錠を口に入れ 髪を手で掻きあげるとドアを押して出ていく。 《ちょっと待ってよ!》あとを追えば、父は重たいテープレコーダーをさげて歩いて 行く。 ..............」

 ちなみに本書は、評論家や研究者によるしかつめらしい評伝でないのがよい。「作 家は無頼不逞に生き芸術は無斬なるものだ!」--------生気溢れる破天荒なとある芸 術家の生き様は、その娘であり、また自らも詩人である著者による、あの独特の語り 口(それは父が娘に語らしめた、自由闊達な長い長い散文詩であると私は断じている) こそがふさわしく、また最良の文体であったと思うのだ。そう、むしろ書物としての 既成概念や暗黙のルールから遠く離れたところに、軽やかに舞う言葉たちの魅力に身 をゆだねてみる方がよいのかもしれない。  (*無慚=罪を犯しながら心に恥じる所のないこと)

 また、それは著者にとっての長い宿題でもあったようだ。「俺が死んだら作文を書 いてくれ」--------癌で入院中の父が娘に託した意志は、反目することもあったがい つもどこかで追いかけていた父の死後、彼の出生の秘密に改めて対峙し、新たな一歩 を受け継いで踏み出すに至ることにより、画家自身が封印していた孤独の炎柱(生い 立ち)を昇華することとなったにちがいない。

「名寄盆地の積雪の風紋を襲う地嵐
 凍る大気がきらめきレンズになり
 沈む太陽の光が炎柱になる
 北狐が足跡を遺してピヤシリ山の懐へ還っていく」

(山崎)
なお本文は、「ボンフォトつうしん:夏号」(谷中銀座 BON PHOTO STUDIO 発行のフ リーペーパー)掲載の“古本ホーボー from ほうろう山神 #3”に加筆訂正したも のです。

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