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古書ほうろうの 2001年6月の一冊
「志ん生一代」上下巻 結城昌治(中央公論社)
「志ん生一代」上下巻 結城昌治(中央公論社)

題名通り五代目古今亭志ん生の一代記です。ただ、あくまでも結城昌治による「志ん生一代」であって、伝記ではなく小説です。ある年齢以上の人にとっては「志ん生」という名前を聞くだけでその独特の風ぼうや語り口が思い出されることと思いますが、そんな未だに人気の衰えない破天荒な噺家の落語のような生涯のお話です。僕にとっては初めて読んだ落語の本で、とにかくおもしろく、芽生えかけていた落語に対する興味が一気にふくらみました。

ほんの少し前、一昨年くらいまでは、僕は落語についてはほとんど何も知りませんでした。あまり興味がなかったのです。ただそれでも、谷中を中心としたこの界隈にそこはかとなく漂う「噺家さんへの暖かい空気」のようなものは感じていました。そしてそれは直ぐそばの上野にある鈴本演芸場と関係があるのだろうな、などと何となく考えていました。またある時、三崎坂の全生庵に三遊亭円朝という落語の神様のような人が眠っているということを耳にしてからは、きっとそのせいに違いないと勝手に納得したりもしていました。おそらくどちらも間違いではないのでしょう。ただ、もっとも大きなものは志ん生という人の存在だったのではないかと、この本を読んだ今は思っています。

第二次大戦後しばらくして慰問先の満州からようやくのことで帰ってきてからの志ん生が、亡くなるまでずっとこの土地で暮らしていたということをこの本で知って以来、僕の頭のなかではあの道やこの道を歩く志ん生の姿がいろいろと浮かぶようになりました。なかでも日暮里の自宅近くの諏訪神社の境内でいつもひとり稽古をしていたという話は、場所が具体的であるだけによりはっきりと脳裏に植えつけられました。もっとも僕はまだ動く志ん生を観たことがないので(もちろんビデオでということですが)、いつもその姿は静止画像のように止まったままで声だけが流れるのですけれど。そんな僕にとっては出来損ないの夢想のような光景を、実際に日常的なこととして目にしてきた人たちがこの辺りにはまだまだたくさんいらっしゃるのではないか。そしてその人たちやその人たちから話を伝え聞いた人たちの志ん生さんへの思いが、暖かい空気となってここいらの町々を包んでいるのではないか。実際のところはどうだかわかりませんが、そんなことを考え、いい話だな、などと思っているわけです。

さて、この本は現在新刊では入手できないようです。しばらく中公文庫の目録に入っていたので、てっきり入手可能のつもりでいたのですが、読売新聞の傘下に入って方針が変ってしまったのでしょうか、残念です。とりあえず本駒込図書館(志ん生はここの近くにも戦争をはさんだ一時期住んでいたそうです)に朝日文庫版が上下揃っていたので、近所にお住まいで興味をもたれた方はそちらでどうぞ。文京区の各図書館にはその他、CD(62点!)や自伝、速記本などもたくさんあります。

おまけ情報 その1
 この本を読むことは、明治の終わりから昭和の中頃までの東京の落語の歴史を辿ることでもあります。もちろん志ん生の交友関係中心ではあるのですが、大きな動きやその時々の人気者の名前などはちゃんと出てきますからおおまかな流れはつかめます。しかし(特に僕のような落語初心者にとっては)知らない噺家の名前がたくさん登場するのでどうしても頭がこんがらがってしまいがちです。そんな時に重宝するのが去年発売されたCD-R0Mブック『古今東西噺家紳士録』(発売:エーピーピーカンパニー)です。系図から噺家を検索でき、顔写真や改名履歴などが見られ、さらにSPレコードや放送用録音の音源によってどんな声でどんなふうに話したかも聞けてしまう優れものです。12,800円と値段は張りますが、元が取れてお釣が来ます。

おまけ情報 その2
今回の話の本筋とはまったく関係ありませんが、いい機会なので、ひとりのファンとして結城昌治のその他の作品の紹介をさせていただきます。
サイゴンを舞台としたスパイ小説『ゴメスの名はゴメス』、ユーモア溢れる処女長篇ミステリ『ひげのある男たち』、探偵・真木シリーズ三部作『暗い落日』『公園には誰もいない』『炎の終り』、痛快な泥棒小説『白昼堂々』などなど、テーマや作風の幅広さもさることながら、なおかつその一作一作が面白く、高い完成度を誇っていることには本当に感嘆させられます。出版各社の目録からはどんどんその姿が消えているようですが、図書館や古本屋で見かけたら是非手に取ってみてください。

(宮地)
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