著者 藤島亥治朗
谷根千工房 1992年4月20日発行 隠連坊文庫(2)
800円(税抜き)
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自序
生まれは盛岡でも育ちは浅草の三社さまから鳥越さんの氏子、そして九歳から成年近くまでは根津さまの氏子と、常々上野の森に親しみ、上野浅草の時の鐘を同時に聞き、深夜は動物園の鶴の合唱、ふくろうの声を聞きつつ寝た。上野はいわば私の第二の故郷であって。そこで私の孫に当たるような人々により起こされた谷根千工房や不忍池を愛する会、谷中五重の塔再建の会に奉られても無理からぬことと自負してきたわけである。時に明治は遠くなるにつれても明治の建築史を纏めておかなければと思う手始めに、東大の明治新聞雑誌文庫の諸新聞雑誌から宮武外骨さんに教えられつつ拾い集めた史料は山ほどあるのに、諸情勢に追われて書庫に眠らせたままであった。時過ぎて今、若い方々の昔を慕う心に答えて、せめて上野だけでもと思い、軽い思いでその資料から上野の関係だけを取り出し、それに加えて私の注釈や感想を加えて書き綴ったら、こんな本になった。ただし、これはあくまでも当時のジャーナリストの側からみた上野である。上野の完全な歴史ではないが、そこに却って特色がある。そのつもりでお読み願いたい。
そのジャーナルは更に続けて大正・昭和に及ばなければ、と思うが、私に寄る年波はその労力に堪え切れぬし、また暇もない。どなたか、私の主旨を継ぐ方があったら、更にこれを書き継いでもらいたい、と思うこと切なるところがある。
平成四年 立春
著者 雅一路こと藤島亥治朗 九十二歳しるす
<目次>
一 はじめに
二 戊辰の役 慶応四年五月十五日〜
官軍はどう攻めたか/彰義隊はどう戦ったか/どこが焼けたか
三 公園(上) 明治五年〜
草原の上野/花見の復活/外国人の説/公園設置の布告/
休み茶屋の増加/中堂跡に博物館/八百善と精養軒/
明治九年五月の行幸行啓/池のめぐりの道路計画
四 公園(下) 明治九年〜
上野動物園のはじまり/明治十年の内国勧業博覧会/
明治十二年の行幸と便殿の払い下げ/三橋の改修/
明治四十年の第三回内国勧業博覧会と観月橋
五 施設 明治十五年〜
明治十六年の上野駅/明治三十一年、西郷銅像の除幕式/
東京帝室博物館(明治十五年)/帝国図書館(明治三十九年)/
東京美術学校・東京音楽学校(明治二十三年)/
奏楽堂(明治二十三年)と東京市立美術館(大正十五年)/ほか
六 博覧会
明治三十八年の凱旋門/博覧会の歴史/
第三回勧業博覧会とパノラマ館/明治四十年の東京勧業博覧会/
伊東忠太博士と天龍門(大正三年)
七 おわりに
掲出新聞雑誌一覧
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