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古書ほうろうの 2003年09月の一冊
「背景の記憶」 吉本隆明
「背景の記憶」 吉本隆明

散歩は子供のころから好きだったんだ。ほうっておくとどこまでも勝手に歩いていってすぐに迷子になってしまった。散歩屋という職業があればそれに就きたかった。

つい昨日も千駄木のぼくの部屋から日暮里まで歩き友人を見送ってから、帰りは散歩がてら、ぐるっと遠回りをした。中華料理屋の横を入り、じねんじょカレーを通り、ぐっと下がってセブンラック跡の原っぱを通り、菊見せんべいの向かいから細い筋に入ってお好み焼きやのわきから不忍どおりへでて、鳥安に入った。鳥刺しとレバ煮とビールを一本たのむ。蒸し暑い一日だったけど、一気に汗がひいていくようだ。 このあいだから読んでいる吉本隆明「背景の記憶」を取り出して読む。その一章に、「谷中-わたしの散歩道」というエッセイがある。吉本さんの案内で谷中を歩いているような気になる、楽しい一文だ。

まず、不忍通りと言問通りの交点である地下鉄根津駅のところに立って、言問通りを鶯谷の方向に歩いてゆく。すぐにこの善光寺坂が上りになるが、上って平らになったこの路の左に本光寺という小さな寺がある。寺とその上手の隣の小さな理髪店のあいだに、ほんの二メートルくらいの細い路が、三崎坂の方向に抜けるように通っている。(略)この路はどんな人にも静かな安息を感じさせるにちがいない。

このあと、吉本案内人は妙行寺から三崎坂へ出て大名時計を見、築地塀へいき、蛍坂へいく。

わたしには蛍のとんでいる崖下の沢地まで想像できるが、それは住んでいる人たちにもわからないかもしれない。

吉本さんは月島で生まれ(1924年)、新佃島で育った。奥さんは生まれも育ちも谷中のようだ。学生のころはもちろん転々と引越ししていたそうだが、引越しの荷車も通らないような路地のアパートばかりを選んでいたという。 そんな狭い路地(谷中だろう)を散歩している吉本さんを、アラーキーが撮った写真が表紙だ。

鳥安の外から音がする。雨でも降り出したか、と思っているとおかみさんが自動ドアから様子を見ようとした。とたんに驚いて頭を引っ込めた。滝のような雨がいきなりふりだしたのだ。小さな滝じゃない。この前の正月に見た紀州那智の滝のような大滝だ。雨粒は大粒で、そのしぶきが細かく舞っている。雷が鳴っている。すぐそこに落ちたようだ。 おかみさんが言う。「このあたりはすぐ浸水しちゃってね。腰の辺りまですぐ水が上がってきたのよ。下水ができるまではね。二十年じゃきかないねぇ。三十年、もっと前かねぇ。今はビルだけど、前はうちはひら屋で隣はのり屋さんで二階建てだったの。その隣がお茶屋さんで。だもんだからこれぐらいの雨が降るとたらいに子供乗せてのり屋さんの二階に上げてもらってたのよ」 そうか。鳥や、のりや、お茶やと並んでいたのか。ぼくは二本目のビールをたのむ。腰をすえて雨宿りしよう。 吉本案内人はどこへいったかというと、谷中銀座へ行っていた。野中ストアーと金吉園(お茶屋さん)の間の小路をはいっていく。

この路地の両側にならんだ長屋つづきは、谷中界隈の坂下にある裏店の住居と住人を象徴するに足りる風情で、かつてわたしがいちばん好きな路筋であった。(略)わたしは、現在の開化にもまれてやぶれかぶれになった醜のほうが、昔はよかったとか、自然を守れなどといっている趣味人よりも好きだから、いまでもこのがさつな坂下の現在開化の薄手な裏店が嫌いではない。

ごちゃごちゃしている路は、なるほどよほど人間的だ。それがそのまま出ているかのような小路がいい。谷中界隈は、ほかの地域の人からは趣味人の町のように思われている。けれどももっとたくましい町なのではないかと思う。 趣味人を装い、そう思われる要素の大きなひとつとして、この界隈は時間の流れが確実に違うと思う。それは、スローライフとかとは違う。なぜならスローライフはライフを基準にした逆説だからだ。それとは違う。 もっと独立した速度そのもののずれというべきか。そういえは吉本さんの詩に「固有時との対話」という長詩がある。

ひとびとは忙しげにまるで機械のように歩みさり決してこころに空洞を容れる時間を持たなかった だから過剰になった建築の影がひとびとのうしろがわに廻る夕べでなければ神は心に忍びこまなかった(固有時との対話)

また、別の本ではこうもいっている。「詩に集中するテンポがだいたい現代社会の時間性の4倍とか5倍ほど遅くないと集中力の深さは生じない。」(吉本隆明が語る戦後55年 11 詩的想像の世界)

谷中界隈の時間性のずれは詩人である吉本さんに大きく影響を残したのではないだろうか。実際、吉本さんの詩集を読むと、その言葉からは明らかに生活とは別の時間が流れていると感じる。早いおそいは関係ない。独自のずれが詩の言葉には重要なんじゃないか、と最近思っている。 ぼくが引っ越してくる前、友人が「谷中あたりは時間の止まった町だ」といった。それは間違いだと引っ越してから知った。ここでも確実に時間は流れているし、とどまろうともしていない。ただ時間軸がほかの町と違うだけだ。ほかの町には未来ばかりがあるけれど、谷中には地に足の着いた現在がある。 今ぼくはマンションの一階にある鳥よしにいて雨宿りをしているけれど、ここでも独特の時間のずれはある。特別、平屋をかたくなに守っていかなくても、そうしたものはなかなか場所から消えるものではないのだと思った。

吉本隆明「背景の記憶」は宝島社刊でほうろう価格750円。平凡社ライブラリーから文庫にもなっていまして、それは新刊1200円。ほかにもほうろうには吉本隆明の本は割とお手ごろ価格でそろっております。

(コモリ)

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