新潮文庫 定価:476円(本体価格)
車谷長吉(くるまたにちょうきつ)の私小説集『鹽壺の匙』(しおつぼのさじ)には、著者が己れの救済として主に古里、播州飾磨の無名の人々の生死について二十余年にわたり書き継いだ 「なんまんだあ絵」「白桃」「愚か者」「萬蔵の場合」「吃りの父が歌った軍歌」「鹽壼の匙」の六篇が収められている。どれも、凄まじい作品だと思った。
ふだんは自分でも気付かない程奥深いところに追いやっている闇の詰った風船に、針で穴を開けられた気がした。しかし穴を開けられてパンと中身が弾け出すのではなく、ムシが這い出るように少しずつ自分の内に闇が広がっていく。あるいは、読みすすむほど底なし沼にずぶずぶと足を捕られて、そこから抜け出せなくなるような危うい感じ。
「詩や小説を書くことは救済の装置であると同時に、一つの悪である。ことにも私(わたくし)小説を鬻ぐことは、いわば女が春を鬻ぐに似たことであって、私はこの二十年余の間、ここに録した文章を書きながら、心にあるむごさを感じつづけて来た。併しにも拘らず書きつづけて来たのは、書くことが私にはただ一つの救いであったからである。凡て生前の遺稿として書いた。書くことはまた一つの狂気である。」
著者があとがきでこのように言っている通り、周りの人間の生き様、死に様、それを見据えることのむごさがひとつひとつのことばに込められ、凄まじい迫力をもって読み手に突き刺さってくる。それでも読む者は憑かれたように頁を繰る。
さて、谷根千界隈が出てくるのは「吃りの父が歌った軍歌」この一篇だけで、「今月の1冊」のテーマである江戸・東京にまつわる本というよりは、背景としてこの辺りが書かれているということでの紹介になる。主人公は本郷丸山新町のアパートに住み日本橋の広告代理店に通っている。いくつかの町の描写から、この町で自分の内に棲む何かにじりじりしながら生きている様がまざまざと伝わってくる。またその姿は当時の著者と重なるようでもある。
敢えて旧町名で書かれているのでここに「文京区の町名の由来」を参考までに紹介しておこう。私は、手持ちの地図を辿りながら読んだ。
著者自身はその後、 次第に書くことなしに精神の均衡を保てなくなり、二十九歳の冬には身を持ち崩すことになる。遂に書くことを捨て古里である播州飾磨(姫路)ヘ帰り旅館の下足番となり、後に料理場の下働きをしながら、九年間におよぶ住所不定の生活をすることになる。その頃のことが『赤目四十八瀧心中未遂』として発表されている。『赤目四十八瀧心中未遂』でも当時を思う現在の主人公はこの辺りに住んでいる。 私が読んだのはこの2冊だけであったが、今回その他の作品にもいくつか目を通したところ、しばしば谷根千界隈が背景となっていた。
ただ、一時に読もうとするとそれぞれの話が交錯して、いつの間にか著者の内の物の怪のようなものが 私の中に巣食ってしまい、ずぶずぶから抜け出せなくなりそうになるので、また時間をかけて少しずつ読んでいきたいと思っている。
著書は出版された順に『鹽壼の匙』『漂流物』『赤目四十八瀧心中未遂』『業柱抱き』『金輪際』『白痴群』、その他に限定版で『抜髪』『車谷長吉句集』があり、限定版以外はすべて文京区内の図書館で貸し出しされている。また『抜髪』は『漂流物』の中で読むことができる。始めの四作品は既に文庫化されており、すべて新刊で入手可能。(うちの店でもこれまでに何度か、氏の著書が入荷しているが、大抵間をおかずに売れている。)
著者が身を削る思いで書き継いだ文章について、私の足りない言葉で紹介するのは難しいことでありますが、未だ読んだことのない方のひとりでもこれが切っ掛けになれば嬉しく思います。是非一度手にしてみてください。(アオキ)
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