これは、1920年代の東京を、そこを舞台にした文学作品を手がかりに浮かび上がらせよう、そんな意図を持って書かれた本です。人々はどんな建物に住み、どんな道を歩いたのか、何を享受し、何を考え生きたのか。そうしたことをそれぞれの作品の細部から発見し、当時の様子を具体的なイメージとして出現させられないだろうか、そんな思いが結実した素晴らしい本です。
著者の海野弘は、もともとアール・ヌーボーを専門とする美術評論家として出発しましたが、この本に収められている文章を書いた頃(1982年)は「1920年代」に興味の対象が移っていました。洋の東西を問わずこの時代を丸ごとつかもうという意欲に溢れた著作を次々と発表し、そんな中、『都市風景の発見』(求龍堂)で日本の近代美術における1920年代を描いたのが直接のきっかけとなって、この本の構想が生まれたようです。今はもうない文芸誌『海』(中央公論社)に連載されました(担当編集者は安原顕)。
歩きながら考える、というのがこの本での手法です。著者は毎回、それぞれの作品に出てくる場所を訪れ、実際に自分の足で歩いています。浅草にはじまって、日比谷、銀座、新宿から品川まで。当時とはその景色は大きく変っていますが、変っていないものもあります。まずその地形そのもの。坂は今でも坂ですし、道もおおむね同じところを走っています。また、なかには幸いにも取り壊されずに残っている建物もあります。そんな中にひとり身を置き、現実の風景の中から、作品中で表現されている当時の様子に思いを馳せるのです。
たとえば『D坂の殺人事件』を取り上げた章では、わたしたちにも馴染みのあるこの界隈を歩いています。そして団子坂上の古本屋(著者の執筆当時はあったが、今はもうない)に、明智小五郎が向いの喫茶店から見ていた古本屋を重ね合わせ、乱歩によって書かれた古本屋の女房のなかに、1920年代の新しい女性の姿と変りつつあった犯罪のかたちを見い出そうとしています。また、もうひとつのD坂=動坂では、市電の走っていた頃の不忍通りを脳裏に思い浮かべながら、そこでカフェーの女給をしていた 佐多稲子とそこに集う文士たちとの出会いについて、『私の東京地図』からの引用を交えながら語ってもいます。
またこの本は、いわゆる文学史的なものとはまったく別の視点で作品を選んでいるため、必然的に「知られざる日本文学紹介」という側面を持つに至っています。龍胆寺雄や吉行エイスケによるモダニズム文学。『浅草紅団』の川端康成。個人的にはこうした未知の作品への理想的な入口でもありました。プロレタリア文学というレッテルから敬遠していた徳永直の『太陽のない街』を、本当の意味で紹介してくれたのもこの本です。大学に入ったばかりで好奇心がもっとも旺盛だった頃、一冊の書物から芋づる式に興味が広がっていく快感を知りはじめた時期の、思い出深い本です。
参考までに、この本の目次を記しておきます。
- 都市と文学
- 川端康成『浅草紅団』
- ベルリンから東京へ
- 萩原恭次郎『死刑宣告』
- 群司次郎正『ミスター・ニッポン』
- 上司小剣『東京』と貴司山治『ゴー・ストップ』
- 龍胆寺雄『放浪時代』と吉行エイスケ『女百貨店』
- 林芙美子『放浪記』
- 江戸川乱歩『D坂の殺人事件』
- 徳永直『太陽のない街』
- 『中野重治詩集』
- 都市へのわかれ
現在この本は、文庫・ハードカバーとも版元品切だそうです。よって、興味を持たれた場合は、古本屋で探すか、図書館で借りて読むか、という選択になります。まず、古本屋ですが、「ほうろう」には過去5年間で文庫が1冊入ってきたきりです。現在在庫はありません。ただ、他店では見かけることもあるので、入手困難ということはないと思います。また、図書館ですが、文京区の図書館には全部で7冊あったので、比較的簡単に借りられるはずです。本の内容からいっても都内の図書館であれば、蔵書はあると思われます。
最後に関連図書の紹介を。
平凡社『モダン都市文学』全10巻 責任編集= 海野弘・川本三郎・鈴木貞美 1989~91年刊
センスの良い装幀、遊び心溢れる編集で、毎巻、発売が楽しみでした。『モダン都市東京』で紹介された作家も含め、この時代のものがまとめて読めます。千石図書館に一揃いあります。
(宮地)
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