地域雑誌 「谷中・根津・千駄木」 36号

「集団学童疎開」 塩原、那須、福島へ−

1993年7月30日(金曜日)発行  350円  在庫切れ

36号 「集団学童疎開」 塩原、那須、福島へ−

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特集 「集団学童疎開」 塩原、那須、福島へ−

二十年四月八日 日曜日 天気(晴)
東那須野のふみきりをわたってすこしいったどてのやうな所で、よその人がそこらに、はえている、すいせんのちいさいやうな草を、とってかごに入れていたので、先生がきいたら、アマナといって、ゆでて、おしたしにしてたべるとおいしいのだと、おしへてくれたので僕達も、少しづつとって先生のかごに入れた。そこらへんに、一面はえていた。(梶原四郎さんの日記より)

◎昭和16年、尋常小学校は国民学校となり、22年に小学校と変わりました。文章は時代と名称のくいちがいが多くありますが、統一しませんでした。また、資料の中で旧漢字は、一部を除いて新漢字に改めました。
◎長年にわたり学童疎開にこだわられ資料、証言を収集された小林奎介、渡辺臣蔵、末武芳一の書肆に敬意を表し、ご協力を感謝します。また、勇気を持って話してくださった方々、本当にありがとうございました。プライバシーには配慮し、書けなかったことも多いのを行間にお汲みとり下さい。文責はすべて編集部にあります。
◎この特集はすべて元号を用いています。昭和が終わった現在、やっと西暦のみで物事を考えられるようになりました。

其の36 集団学童疎開特集(56p) 1993/夏

表紙/「家の光」(昭和19年1月)
ヤネセン夏の社説−「散歩道」を散歩するために
エッセイ−谷中の蟲−野沢延行
「集団学童疎開」塩原、那須、福島へー
 座談会・学童疎開は何だったのか
 根津小学校の場合/第一日暮里小学校の場合/千駄木小学校の場合/汐見小学校の場合/谷中小学校の場合
 いつも戦争をしていた−昭和の最初の20年
 くいものの恨みってやつかな−植村豊さん
 ニシャカンプラクレッカ−宇田川喜久雄さん
 お手玉を送ってください−来住南陽子さん
 集団疎開の第一陣として−梶原四郎さん
 疎開先で赤痢が蔓延したんです−清水洋子さん
 虚空蔵菩薩広場のラジオ体操−森幹松さん
 苦しいときは、清子ちゃんを思い出すの−高尾美千子さん
 猫のエサ食べちゃった−田辺武さん
 背中をしらみがのぼっていく−金森久城さん
谷根千ちず
町の記憶−千駄木の文化「ポプラ万年筆」−山崎晃大朗
谷根千オンブズマン−旧岩崎邸が危ない−なぜ地下開発を進めるのか
暑いと思えば暑い−谷根千の氷事情
 愛玉子/大黒屋/桜や/柳屋
確連房通信
漢文雑感−村山文彦
著者自筆広告24−松山巌「うわさの遠近法」青土社、「都市という廃墟」ちくま文庫
思い出すままに・私の原風景−団子坂上に生れて−佐藤芳さん
おたより
学童疎開−剪画・文/石田良介
谷中の夜中−写真/北小路康敬
編集後記
お知らせ

2002.11追記
語り継ぐ学童疎開 - 全国疎開学童連絡協議会
http://www.ne.jp/asahi/gakudosokai/s.y/

参考文献
「45年前の子どもたち 学童疎開って知っている?第2回学童疎開展」 1991.6 全国疎開学童連絡協議会
「35年目の卒業記念誌」 昭和19年度東京都根津国民学校谷中国民学校
「書きつづけた日記、送りつづけた手紙」末武芳一編
「誠之国民学校の思い出」 昭和20年卒業同期生会
「創立70周年記念誌」 文京区立根津小学校
「ひぐらしの里 − 創立百周年記念誌」荒川区立第一日暮里小学校
「創立七十周年記念誌−千駄木」 文京区立千駄木小学校
「戦中女学生の記録」 桜蔭高女十八回生
「集団疎開の地岩代熱海を訪ねて−感想文集」第一日暮里小卒業生有志
「ねづがっこうS19」 根津国民学校昭和19年度卒業生の輪
「文京区教育史 学制百十年の歩み」 1983.3 東京都文京区教育委員会編
「昭和史全記録」 1989.3 毎日新聞社 ISBN:4620802107
「昭和 二万日の全記録」 全19巻 1989-1991 講談社 ISBN:4061943510-4061943693
「東京大空襲・戦災誌」 全5巻 1973-1974東京空襲を記録する会
ほか
協力

千駄木小学校、谷中小学校、鴎外記念本郷図書館、ねづがっこうS19、中川六郎

 

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