地域雑誌 「谷中・根津・千駄木」 25号

平塚らいてうと 「青鞜」 - 千駄木の山で生まれた女の雑誌

1990年10月15日(月曜日)発行  300円  残部僅少 -> 購入方法

25号 平塚らいてうと 「青鞜」 - 千駄木の山で生まれた女の雑誌

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特集 平塚らいてうと「青鞜」 - 千駄木の山で生まれた女の雑誌 -

東京オリンピックのころたしかNHKで「風雪」というドキュメントがあって、そこで初めてらいてう平塚明(はる)と森田草平の雪の塩原心中を知った。明治の教養ある令嬢が、心中未遂を起こして社会から糾弾されてなお、立ち直り、一九一一年九月、日本初の女性の女性による女性のための文芸雑誌「青鞜」を創刊したというのが興味深く、らいてうが小学校、女学校の先輩であることもあって、ずっと関心を持ってきた。

ときにらいてう二十六歳、創刊の辞「元始、女性は実に太陽であった」は今でも、女性解放運動の原点を示すモニュメントとして輝いている。発起人らいてう、中野初二十五歳、保持研子(やすもちよしこ)二十五歳、木内錠子(ていこ)二十五歳、この四人は目白の日本女子大の初期の卒業生。物集和子二十四歳。

初版千部、判型は「谷根千」のA5版に近い。発行事務所は千駄木林町九番地、物集邸。まさに「青鞜」は七十数年前に、私たちのこの千駄木山で生まれた女雑誌なのである。

たった千部が全国にばらまかれて共感する若い女性が社員となっていく。尾竹紅吉(富本一枝)十七歳、小林哥津十七歳、伊藤野枝十八歳らハイティーンが編集事務を担い、育ってゆく。表紙絵を描いた長沼智恵子二十五歳、さすが筆が立つ田村俊子二十七歳、婦人参政権を主張した遠藤清子二十九歳、こうした人々も谷根千地区と何らかの由縁を持つ。

「青鞜」は時代の要請によって文芸雑誌から女性解放誌へと徐々に方向転換をし、女たちはこの雑誌をスプリングボードに評論家、社会活動家、作家として育っていった。同時に「新しい女」はいつでも女が目立つようなことをやればそうであるような攻撃、揶揄の対象となり、「青鞜」はいくどか発禁にもなったが、ジャーナリズムが話題にすればするほど、男尊女卑の家父長制のもとで苦しむ女性の共感を得ていった。

すでに「青鞜」については数多くの伝記、研究が編まれている。にもかかわらずあいかわらず雑誌や本で「青踏」と誤植されることの方が多いのは、歴史上のトピックスであっても、あまり活動の実態すら知られていないことを象徴的に物語っているだろう。

また女性史上では後年のらいてうの重みから二十代を評価したり、「青鞜」をドラマ化して「激しい生きざま」を誇張したり、「愛欲生活」にばかり力点をおいたり、なにか類まれな天才の目的意識的運動のようにとらえられがちなうらみがある。

らいてう自身、最初はさして乗り気でなく、生田長江のすすめ、保持研子の「やりましょう」という推進力がなければ「青鞜」はあったろうか。今号では私たちの町との地縁に光をあてるとともに、なるたけ等身大の若い編集集団として「青鞜」をとらえてみたい。

※青鞜(せいとう)

其の25 1990.10.15
「青鞜」特集(48p)

表紙/長沼智恵子の描いた「青鞜」創刊号より
立原道造「のちのおもひに」+解説
芋坂上から見るSL(1957年)−写真/岩尾雄二郎氏提供
千駄木山で生れた女の雑誌−平塚らいてうと「青鞜」
 1平塚らいてうという人
 2雪の塩原心中
 3「青鞜」創刊まで
 4「新しい女」への弾圧
 5「青鞜」と彼女たちの青春
 人物コラム−生田長江、森田草平、長沼智恵子、阿部次郎、田村俊子、遠藤清子
 小林登美絵さんと歩いたときのこと
 限りない自由を生きて−望月百合子さんに聞く
 平塚らいてうと「青鞜」関係地図
著者自筆広告17−えんぶつすみ子「CHICHIBU」タトル出版
谷根千ちず
谷根千生業調査−本屋
 秋山書店、博山房書店、ブックスたばた、温知堂、あいぞめ書店、清水書店、松屋書店 、創文堂書店、かるでや文庫、タナカ書店、井沢書店、文明堂書店、やよい文具書店、 武藤書店、清秋堂書店、南天堂書房
谷中を愛する心−二つの墓−加藤勝丕
谷根千昔ばなし1−団子坂のたぬき
郷土史発掘−関妙山善性寺と旧浜田藩殉難諸志の碑
大震災補遺−鯰絵のことなど
意見広告−補助92号線の建設計画に異義あり
確連房通信
ミニエッセイ・夜なきそば
あんな店こんな店−陶器・悠明堂、薬膳カレー・じねんじょ
おたより
谷中大円寺・菊まつり−剪画/文−石田良介
編集後記
お知らせ

 

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