地域雑誌 「谷中・根津・千駄木」 17号

谷根千に生きた 夭折の芸術家たち

1988年10月10日(月曜日)発行  300円  在庫切れ

17号 谷根千に生きた 夭折の芸術家たち

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特集 谷根千に生きた 夭折の芸術家たち

ニューヨークの美術学校、アート・リーグの学校食堂で荻原守衛と戸張亀吉の二人は一杯のコーヒーで別れを惜しんだ。一九〇六年、荻原は二十八才、戸張は二十五才だった。戸張は日本へ、荻原はフランスへ立った。帰国した戸張は居を谷中の七面坂下に構え、孤雁と号し、イラストレーションを手がけた。荻原は三年して彫刻家として帰ってきた。碌山と号し、二人は三日にあげず往来した。
当時谷中の真島町にある大平洋画会は活気に溢れ、中村不折、満谷国四郎の指導の下に研究生は百名を越し、堀進二、川端龍子、坂本繁二郎などがいて、そこへ赤坂溜池の白馬会洋画研究所からの移動組が鶴田吾郎を先駈けに中原悌二郎、中村彝と入って来た。(略)

- 基 俊太郎(彫刻家)

其の17 1988.10.10
夭折の芸術家特集(40p)

晩秋の谷中の階段(昭和33年ころ)−写真/基俊太郎氏提供
碌山、中村彝、悌二郎、孤雁 ... −谷根千に生きた夭折の芸術家たち
一、碌山、上京して不同舎に入る
二、彝と悌二郎が出会い、太平洋画会研究所に入る
三、碌山の死、そして七面坂下の戸張孤雁
四、本行寺静座会、そしてつねの実らぬ恋
五、悌二郎と鶴三の螢坂
六、神の愛でし人々
悌二郎谷中時代案内図
確連房通信
谷中・みかどパン−エッチング/棚谷勲
著者自筆広告13−益子昇「建築家・立原道造」アカンサス建築叢書
郷土史発掘−川端康成が林町に残したもの
谷根千ちず
谷根千は子供にとって住みよいか
パート1 子連れの外食案内
パート2 谷根千駄菓子屋物語
昭和23年創業の木村屋(千駄木の駄菓子屋)−スケッチ/桐谷逸夫
貝塚補遺−太田ヶ池に古代人の集落があった
彰義隊補遺−伴門五郎と幕末の三舟
なるほど・ザ・まちづくり6−トヨタ財団研究助成ニュース−谷中五重塔1644〜1988
谷根千便利帳−頼りになるお医者さん(内科・小児科編)
おたより
谷中・魚善−剪画・文/石田良介
編集後記
文化ガイド

資料・協力
基俊太郎、碌山美術館、太平洋美術研究所、日展、中山妙子、鴎外記念本郷図書館、芸大図書館

参考文献
「小山正太郎先生」 1934 不同舎旧友会
「荻原守衛の人と芸術」 1979 碌山美術館編 信濃毎日新聞社
「安曇野 (第一部〜第五部 )」1987 臼井吉見 ちくま文庫
「碌山荻原守衛」 1967 仁科惇 柳沢書苑
「黙移」 1982 相馬黒光 法政大学出版局教養選書44
「芸術の無限感」 1977 中村彝 中央公論美術出版
「中村彝」 1967 鈴木秀枝 木耳社
「中村彝 運命の図像」 1983 米倉守 日動出版部
「中村彝の周辺」 1977 鈴木良三 中央公論社
「彫刻の生命」 1993 中原悌二郎 中央公論美術出版(アルス出版T10)
「中原悌二郎」 1988 匠秀夫 木耳社
「孤雁遺集」 1930 蒔田東編 戸張和枝
「戸張孤雁集」 1986 碌山美術館 碌山美術館
「中原悌二郎集」 1988 碌山美術館 碌山美術館
関連リンク
谷根千49号に補遺 駒込動坂町九二番地−彫刻家・新田実のアトリエ−新田基子
谷根千48号に補遺「団子坂下茶房リリオムの履歴書」
谷根千44号「芸術家のいた喫茶店 - 「リリオム」の時代」

 

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