巻頭言アーカイブス

戦略なんていらない、出でよ、ホンモノの経世家! 
宮澤芳重―根津に住んだ哲学者のこと


『人間 宮澤芳重 その反俗の生涯』
(下沢勝井 松下拡 合同出版)

先日、還暦を迎えました。これで1984年に創刊し、2009年に終刊した「地域雑誌谷中根津千駄木」の創終刊に立ち会ったスタッフ全員が還暦越えとなりました。古老が元気なうちに(逝ってしまわない前に)話を聞きておかなくちゃと取材ノートを片手に町を歩きまわり始めた20代後半から35年が過ぎたことになります。おもえば不遜で生意気で未熟でした。残念ながら今も成熟には程遠いのです。

さて、今回は本のご紹介です。『人間宮澤芳重―その反俗の生涯』(1976年刊 下沢勝井、松下拡著 合同出版)が、41年ぶりに復刻されました。 といっても、宮澤芳重さん(1898~1970)の名を知る人はほとんどないでしょう。私は「谷根千」創刊間もないころに、本郷の落第横丁にあった古書店ペリカン書房の品川力さんに「ご存じかな」とこの本を手渡され、一読してびっくり! 取材して「谷根千」41号に渾身のレポートをしたためました。仰木と二人で保育園児だった子どもを連れて、信州下伊那の飯田市や松川町まで出かけた取材旅の楽しかったことが思い出されます。


宮澤芳重さん

宮澤芳重さんは根津小学校の近く、根津教会の真後ろあたりに住んでいたニコヨン(日雇い労務者)でした。故郷信州下伊那に公立でも私立でもなく、郷土立という学費ゼロの飯田大学設立を決心して「下伊那教育機構研究連盟」をつくり、自らのわずかな賃金でその運営費、機関誌の発行費用を捻出、郷里の飯田高校に大学の基礎となる天文台を設置、飯田図書館に大学図書館の蔵書となる基礎文献を送り続けるのです。 自分のために使うのは、最低限の電気代と水道橋の予備校研数学館の授業料のみ。研数学館は貧しくて学校に通えなかった芳重さんの自己学習の場でした。根津の住まいにガス・水道はなく、水道とトイレは根津神社の公衆便所を、食事はかつてあった旅館上海楼の残飯を、洋服と文具は日医大の看護婦寮から出るお古を使います。

1970年7月10日、ひどい吐き気と疲れを感じて根津診療所を訪れます。すでに癌はかなり進行し、8月22日に氷川下セツルメント病院に入院、11月27日に72歳で亡くなりました。白菊会に入会していた芳重さんの遺体は、東大医学教室に献体されました。


日医大の看護婦寮は研究科棟に建て替わっている
手前は根津神社

当時根津の路地では、近所で病人が出るとお返しなしの見舞金を集めてたそうです。住人10軒を代表して芳重さんを見舞ったのは中村さんと平崎さんでした。 「宮澤さんは律儀な人でみんながお礼の葉書をもらったの。だけど書いてあることが難しくて、実は私はよくわからなかった」とはいまは亡き松澤さん。
亡くなった後の住まいにはちびた鉛筆、消しゴムの欠片、段ボールと短いヒモの束、使いかけのノート、パンの耳を干したもの、お煎餅やクッキーの欠片がそれぞれに缶や瓶に分類されて部屋いっぱいにあったそうです。


芳重さんの住んだ路地は
いまもあまり変わっていない

根津の人たちが宮澤さんの生活の真意を知ったのは、亡くなった2年後に故郷に建てられた「芳重地蔵」を紹介するNHKのカメラが路地に入ったときでした。清貧の暮らしの背景にあった志の高さに納得する路地の住人のようすを知り、本の著者のひとり、下沢勝井さんは語っています。
「芳重さんは根津だから住めたのかもしれませんね。芳重さんは私を大学設立後の教員の一人に考えてくれていました。進捗状況や思想を伝えるのによく呼び出されましたが、会うのは不忍池の畔や東大構内。決してお茶などを飲むようなお金は使わなかった。当時、芳重さんを奇人変人扱いする人も多くいました。私自身迷惑に思った時期もあったくらいです。目的も知らずに芳重さんの生活を近くで見守っていた根津の人の寛容に感心するばかりです」 

「谷根千」41号の発行は1994年12月。その頃から谷根千工房ではNHK取材のドキュメンタリー「地蔵になった男」の16ミリフィルムをいくども上映しました。 2013年に法政大学の高柳俊男教授のセミナー「いま宮澤芳重を考える」がきっかけとなり、地元下伊那で再評価の動きが再燃、今回の評伝の復刻にもつながりました。

1970年代、広告会社電通のPR戦略は下記の10項目でした。
1. もっと使わせろ
2. 捨てさせろ
3. 無駄使いさせろ
4. 季節を忘れさせろ
5. 贈り物をさせろ
6. 組み合わせで買わせろ
7. きっかけを投じろ
8. 流行遅れにさせろ
9. 気安く買わせろ
10. 混乱をつくり出せ

芳重さんは高度成長期の真っただ中で、この風潮に真っ向から抗った人でした。根津はそんな芳重さんの思想を知ることはなかったけれど、その生活を受容し共感し共生した町でした。
『人間宮澤芳重―その反俗の生涯』(復刻版 2017刊 1,500円)は往来堂書店(千駄木2丁目 http://www.ohraido.com/)で手に入ります。

2017年10月2日   やまさき

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