巻頭言アーカイブス

文京区史写真集


根津小学校の運動会(昭和29年)

2017年3月16日、文京シビック小ホールで「文京区史写真集刊行記念」の上映会と講演会が行われました。 上映会では、文京区の映ったフィルムを編集し、1、ぶんきょうの四季、2、ぶんきょうの追憶、3、ぶんきょうの暮らしの三本に柳下美恵さんがピアノなど音楽をつけ、坂本頼光さんが弁士で語りました。 後半は私、谷根千の森まゆみが「区史写真集を読み解く」と題して、この写真集の中に収録された明治から昭和40年代くらいの写真について語りました。
この文京区史写真集『写真で綴る「文の京」歴史と文化のまち』は悔しいけど区が編集発行のため、600枚近い写真が収録されているのになんと1,700円という安さです。中には区内に長くお住いのお店や職人さんの聞き書きも多数含まれています。そして、区史編纂委員長の樺山紘一氏(西洋史)や、副委員長の芳賀徹氏(比較文学)と私の鼎談も載っています。旧曙町にお住いの芳賀先生の父上は家庭を持ってから東京高師に学ばれ、谷中の擇木道場に戦後まで住まわれていたそうです。樺山先生の母方の実家は神田の明治書院で、父上の仕事で上海のブロードウェイマンションに住んでいたこともあるそうです。
さて、地域史料の発掘と保存と言っても範囲は広い。私たちが地域雑誌「谷根千」を始めた1980年代、区の図書館などは地域資料をあまり持ってはいませんでした。今も意識的に系統的に集めていないと思います。地図、町会名簿、商店街の売り出しチラシ、社史、学校史、いわゆる饅頭本といわれる葬式や結婚式の引き出物の私家本などは是非、集めて欲しいものです。私たちの事務所にはその他、聞き書きのテープ、ノート、電話がかかってきたときのメモ、読者が提供をしてくれた写真や資料、戦時公債、召集令状、警防団の手帳、古いあんか、商店の通い帳など、様々な資料があります。


花電車(昭和31年)撮影/上平顕三

中でも写真の持っている力はすごい。いくら言葉で言っても伝わらないことが、写真だとビジュアルでわかります。
例えば、写真集の中に、私の生まれた家が写っていました。両親が浅草と芝の空襲で焼け出され、動坂下の焼け残った震災前の長屋で所帯を持ったのでした。父は駒込病院の勤務医で、母の方が先に辞めてそこで開業しました。その並びにあった三井糸店なども写っており、天祖神社の山車を引いて、梨をもらった幼い日を思い出します。昔の写真は冠婚葬祭で撮られたものが多いのです。
古い写真を辿れば、文京区は坂の町、一番低いところに、御茶ノ水渓谷、江戸川、藍染川などが流れ、大雨が降るとそこが溢れて家が浸水したものでした。私も昭和34年の伊勢湾台風でみるみるうちに、玄関を水が浸し、床上まで上がってきたのを覚えています。
また江戸時代には大名屋敷がいくつもあり、水戸屋敷が小石川後楽園に、柳沢吉保の屋敷が六義園になって今も貴重な緑地として残っているほか、例えばペリー来航時の老中、阿部正弘の屋敷は維新後も阿部伯爵邸があり、立派な正門から2頭立ての馬車が姿を現したり、広島の福山の藩校と同じ名前の誠之小学校ができたりしました。私もその卒業生で、ベビーブームの後とはいえ全校生徒が1800人もいました。
阿部家が借地経営した西片町は1番地と10番地しかなく、東京大学関係の教授たちのほか、佐々木信綱、夏目漱石、田口卯吉、上田敏、半井桃水、その後に魯迅などが住みました。中央公論社の発祥も西片町です。阿部家は阿部幼稚園も経営していたし、白山通りに降りて行く坂を丸山福山坂と呼びます。その崖下で樋口一葉がなくなりました。
文化に関する人々が多く住んだのは、神田にあった初期の東京大学が明治10年頃に本郷の加賀屋敷にまとまったからと言えます。その他、御茶ノ水には高等師範(今の筑波大)と女子校等師範(今の御茶ノ水女子大)、順天堂医院があり、日本女子大、跡見学園、東洋大学、京華中学、京北中学、郁文館、小石川高校(府立五中)はじめたくさんの学校が区内に出来ていきました。
千駄木には高村光太郎、宮本百合子などがすみ、明治44年には女性のための女性による雑誌「青鞜」が誕生しました。
彼らを支える出版産業としては、千駄木の講談社(のちに音羽に移転)や本郷の古書店街(ペリカン書房の品川力さんも懐かしい)、「太陽のない街」と言われ労働争議も盛んだった共同印刷、千川、小石川の筋にはたくさんの印刷や製本に関する産業がありました。


小石川消防署

大正の震災では東京帝国大学の東洋一と言われる図書館も灰燼に帰しました。昭和の大空襲でも焼かれた街は少なくありません。その中でも辛うじて残った街並みも、年々変化していくばかりです。本郷通りにあった看板建築ももはや1、2軒を残すのみとなりました。
ほかに区内で目立つ建物として、日本女子大成瀬講堂、茗荷谷駅前にあった同潤会大塚女子アパート、大塚三丁目にあった消防署の望楼、護国寺や目白の聖マリアカテドラル教会などをあげることができます。
また生活の風景としては、文京区内を走っていた都電、昔は市電と言って明治36年頃に敷かれ始めましたが、昭和43年頃に都電は荒川線を残して路面から消えました。それと動坂シネマ、進明館、芙蓉館(のちの根津東映)などの映画館も忘れることができません。東京オリンピックの記憶、後楽園遊園地の夏の夜、思い出せばきりがないです。
どうぞ、谷根千工房も写真を提供した区史写真帳を眺めてみてください。

文京区の写真帳の詳細はこちら
文京区史写真集『写真で綴る「文の京」歴史と文化のまち』刊行

2017年4月5日   森まゆみ

谷根千工房 http://www.yanesen.net   E-mail: info@yanesen.com
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