巻頭言アーカイブス

自転車と谷根千

自転車が日本に入ってきたのは明治の最初で、宮武外骨などが乗ってみる高価で珍奇で人目をひく乗り物だった。東大のお雇い外国人で自転車に乗っていた人もいたようだし、三浦環などは東京音楽学校に自転車で通って人目を引いた。夏目漱石は英国滞在中に自転車に乗ることを覚えた。
今はすっかり庶民の乗り物になって、私も中学に入る頃、根津神社の境内で二輪車の乗り方を覚え、結婚して子供が小さい頃は、谷根千の取材や配達、保育園の送り迎えに、自転車がなくては夜も日も開けなかった。車道と歩道とどちらを走るべきか、いまだによくわからない。車道においては自転車は弱者であり、車の運転者から見れば邪魔者扱いである。かといって歩道を走れば、凶器と化す。自転車による歩行者の死亡事故も後を絶たない。たかが自転車を走らせていただけで、一生、重い償いをしなければならないこともある。
そんなこんなで、私の自転車に乗る頻度はぐっと減った。年相応に仕事も減らし、どこでも歩いていく方が健康にいい。根津や谷中に夜飲みに行く時も、飲酒運転は自転車でも禁止されたので、歩いていくか、タクシーだ。そして歩く側になってみると、怖い思いをし、今までの自分の乱暴な運転を反省する。家の前は東洋大学と東京大学の学生が、耳に音楽のイヤホンをつけたまま行き交っている。本当に朝のゴミ出しの時に何度、轢かれそうになったことか。いや私も轢きそうになったことは何度もある。
自転車でもう一つ嫌なのは、盗難にあうことだ。鍵をかけ忘れて取られたこともあった。鍵を閉めていても取っていく人がいる。一回は四つ木警察から連絡があった。酔っ払って自転車かっぱらった人が何人かリレーで、私の自転車は向島の先で発見されたのだった。
愉快犯というのか、自転車に画鋲などを刺して、パンクさせる輩もいる。最初は私に怨恨を持つ人の仕業かと思った。結構この被害に遭っているらしい。特にマンションでも表から見えるところの自転車には被害が少ないが、死角になっているとやられる率が高いそうだ。

加えてのショックは、街の自転車屋がなくなったことである。最後の引越しから17年、私は白山下の自転車屋さんのお世話になっていた。三回くらい買い求め、パンクも空気を入れるのもここに頼んでいた。「跡継ぎはいないね。こんなもうかんない商売誰がやるの?息子は弁護士になっちゃった」と聞いて間もなく、知らないうちにおじさんが亡くなり、店は閉店。お世話になったからお葬式には行きたかった。
こうなると大変だ。空気が抜けると、手動ポンプ式ので押すが、入れ方もよくわかっていない。パンクになると、根津か、千石か、団子坂下の吉江自転車まで行くしかない。
先代には、20年ほどお世話になった。店に見かけなくなって久しい。「もう90過ぎましたからね。元気にしてますが」にホッとする。今店にいるのは息子さんだ。「街の自転車屋はなくなる一方ですよ。儲からないし、みんな自転車、ネットで買っちゃうでしょ」パンクなら40分かかります、と言われ、とにかく作業を見守ることにした。「ネットでもちゃんとしたのを買えばいいけど、値段だけでとんでもないのを買って、すぐ壊れて直してと持ってくる人がいます。でも今PL法で、最後に直した人の責任が問われるので、そんな自転車直すとまた壊れたでは、うちが大変になる。だから修理をお断りすることもある」ネットは売るだけでアフターケアがない。「うちで売った自転車は最後まで面倒見ます」と本当に親切。
結局私の自転車は、熱で空気を入れる穴にかぶせるゴムが溶けて、中に詰まり、金属の部品もいかれているとのことだった。部品も取り替えて1000円。パンクだと治すのに4000円くらいかかるという。とっても親切だ。

空気の入れ方もよくわからなくてというと、「自転車屋で一月に一回、空気を入れて貰えばいいんです」おいくらですか?「30円。うちで飼ってくださった自転車ならタダです」それじゃ儲からないだろうなあ。「坂が多い街だから、そろそろ電動に変えたらどうですか?」そうねえ、でもまた盗まれたりしたら。「電動を持って行く奴はいませんよ。バッテリーないと動かないんだから。バッテリーは一万はしますから、それを買えるような人は自転車を盗みません」な〜るほど。考えてみよう。実に勉強になった。
このところ、京都によく行き、よく自転車を借りて乗る。地下鉄も二線しかなく、バスは渋滞するので、自転車は京都市民の必須アイテム。そこここに自転車屋さんがある。文京区もコミュニティバスの整備もいいけど、自転車屋がなくならないようにしてほしい。本郷通りの本郷三丁目あたりから吉祥寺まで一軒も自転車屋がない。東大当局も学内に自転車屋を誘致したらどうかしら。何千人、いや何万人も自転車に乗っているのに。
今、街にほしいのは空気を入れ、パンクを直してくれるサイクルステーションだ。

*行政も自転車に乗りやすい街を目指し、白山通りなどを、自転車と歩行者を分けるため、今の街路樹をすべて切って、「適正な樹木に植え替える」という政策も進んでいる。これについてはまた今度。

*山﨑範子より。本郷3丁目の交差点を春日通り後楽園側に曲がるとあり。 本郷通り、日医大上を東大に向かって左手に堀江自転車(だったかな?)あり。

*仰木ひろみより。先日二日続けてパンク。一度めは、買った夜店通りのツルオカサイクルヘ。チューブまで取り替えて、直し終えたら、売り上げ上の理由で、平成31年に閉店予定するという予告の紙をもらいました。 次の日に絵に書いたような画鋲が刺さっていて、パンク。確かあったなと思って行ったのは、吉祥寺手前、本郷通りの自転車屋。おばさんが受付して、修理道具、水を入れたバケツ、延長コードも引っ張ってきた。そこにおじさん現れ、10分しないうちにパンク箇所を探しだし、グラインダーをかけ、ゴムのりをつけると、修理用パッチになっている黒いゴムを張った。素晴らしい連係プレー。あっという間でした、このご夫婦も70代後半のよう。いつまで直してもらえるかなぁ。

*参考までによければお読みください。
「谷根千」35号 谷根千オンブズマン−われら「自転車」操業(上)
     自転車を引き取りにいく
     新聞配達の後を追う
「谷根千」38号 谷根千オンブズマン−われら「自転車」操業!(下)
     私の自転車が消えた
     愛しの自転車の無残な姿!

2016年9月30日   森まゆみ

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