巻頭言アーカイブス

高田爬虫類研究所のフィルムを見る会

根津の異人坂近くに、高田爬虫類研究所があった。街中にたくさんの蛇やワニを買っている場所があるなんて、谷根千を初めて知って、2号でインタビューに行ったのは山崎範子だった。今読み返しても、初々しくて笑っちゃうような記事だ。とにかく、1号では、明治末の菊人形を知っている何人かの人たちにインタビューし、2号では浩宮の産着を縫った千駄木の胡桃沢多美次さんとこの高田栄一さんが載っている。
私はもともと爬虫類は気持ち悪いと思う方で、それは巳年のくせにヘビが嫌いな母の刷り込みかもしれないが、上野動物園に行ってもワニや蛇の前は通り過ぎた。だから、山崎の取材話を聞いても、そんなものが子供の頃から大好きで、首に蛇を巻いたりする人はよっぽどの変人だと思っただけだった。

今回、ご遺族の協力を得て、ホームムービーの日の島さんやコガタ社の中川さん、谷根千ウロウロさんの尽力で、高田さんにまつわる映像や写真を蔵で見ることができた。
それは私の先入観を打ち壊すには十分な出来事だった。
高田さんは1925年、湯島の生まれで、小さい時から上野動物園に入り浸っていたようだ。「嫌い」「気持ち悪い」と思われる、爬虫類への差別に怒り、ヘビに寄り添う生涯となる。自由律の歌人でもあり、詩人でもあり、随筆家でもあった。小柄で、ほっそりして、若い時はシャンソン歌手みたいである。根津に戦前から住み、戦争中は疎開していたという。

1、「高田爬虫類研究所の一日」1979年
戦後、爬虫類研究所をはじめ、多い時は十人もの所員がいた。彼らが傷ついたトカゲの治療をしたり、イグアナにバナナをやったりしている。カメには生の鶏肉をやる。頭蓋骨を標本にしている。奥様はサイレントの映像を見ながら、少しずつ話をしてくださった。「あ、この人、宮本さんていって、ギターが本当にうまいんですよ。九州の宮崎の人です。この映像を撮ったのは作田さんといって絵がうまい人でした。いろんな動物がいたので、その飼育箱は主人が設計してみんな手作りでした。
作家の椎名誠さんが主人の経営する「デパートニュース」の社員でいらしたことがあります。椎名さんの小説にも主人が出てくるんですが、追悼文にあの時代が自分の青春だった、文の道へ行く基礎を作ってくれたのは高田栄一だと書いてくださいました」
椎名さんは「新橋烏森口青春編」という小説を書き、そこにポケットから緑色のヘビを出す「ヘビ専務」として登場する。
10人もの所員をどうやって食べさせていたのか、彼らはどこに住んでいたのか、興味がある。「主人はよくテレビや雑誌にも出ていましたし、展示会もやっておりました。沖縄のこどもの国大爬虫類園の監修もしておりました。うちにいた皆さんは本当に生き物が好きな方ばかりでね」というお話から、展覧会の企画や、動物をいろんな施設に紹介したり飼育の指導を仕事にしておられたのではあるまいか。

2、アフリカ草原の動物たち 年代不明
年代はわからないが、アフリカ旅行のカラー映像。ケニアかなんかで、サファリをしているようだ。向こうに見える山はキリマンジャロか。キリン、カバ、ハイエナ、フラミンゴ、ライオンの交尾などが映されている。オスライオンが退いた後、雌ライオンはそれこそ死んだようにひっくり返り、無抵抗である。オスライオンは雌に近寄って甘噛みする。私たちは息を飲んでみていた。
「いいカメラを持っていましたからね。もちろん家族で行ったことはありません。署員で一緒に行った人はあると思います。でもケニアから手紙が来ていますから、調べればいつかわかりますよ。1976年くらいではないかしら」と奥様。当時、アフリカを旅するのは費用の面でもどのくらい大変だったろう。すでにこのような動物の楽園はなくなっているかもしれない。

3「インドネシアのコモド島のオオトカゲ」1976年
「この時は朝日新聞の仕事で、團伊玖磨先生ともご一緒したんだと思います。先生も動物が大好きでね。後々まで手紙のやり取りをしておりました」 木のボートにみんなで乗り、海を行く。世界最大のオオトカゲがヤギのナマ肉を食べる様子。團伊玖磨さんはピアノの上でカタツムリを飼い、それがレタスを食べるかそけき音を愛したという。高田とは気が合って、蛇弟と称した。團伊玖磨の子息、現在は建築家の団紀彦さんはヘビ少年で、高田さんが持ってきてくれるニシキヘビの飼育に夢中になった。
高田さんがバティックのアロハを着ている写真があるが、これはその時買ったものだろうか。映像はタイの象の水浴び、木材運搬の映像になる。象が丸太を引っ張ったり、鼻で持ち上げたりしている。

4、ベンガルオオトカゲのレスリング これも撮影年代がわからないが、研究所の中のような気がする。これについては来場者、上野動物園爬虫類の担当の坂田修一さんから「オオトカゲは繁殖時期になると、オスどうしでこういった戦いをするんです。そして負けたものは去る。それを雌が見ていて、オスの品定めをするということはありませんが」それはまるで、どこまでも続く相撲みたいだった。まわしこそないけど、足をかけたり、腕を回したり、うっちゃりも見せる。

5、ミシシッピーのワニの孵化 1981年 ワニが卵で生まれるなんてしらなかった。それも繭みたいな長い卵で、中から縞の模様の赤ちゃんが出てくる。坂田さん、「ワニは小さい頃はこんな模様がついているんですがだんだん薄くなっていきます。鳴き声を親ワニが気にして寄ってきていますね」。サイレントなのでわからない。

6、スライドショー 谷根千ウロウロさんが高田家にある紙焼き写真をデジタル化してくださった。たくさんの写真は、雑誌などに取材されたものだろう。いつも高田さんは首に蛇を巻いている。毒のない蛇もいるが、コブラなど危険動物もいる。近所から苦情が出たり、何か事故のようなものはなかったのだろうか。近所の子供に蛇を触らせている写真や、根津神社での蛇とのツーショットもある。
山崎範子はハムスターを飼っていたところ、アオダイショウに呑み込まれ、警察に通報したが、警察官に「これは脱走したもので誰かの所有物かもしれず、それがはっきりしないうちは触れない」と断られ、高田さんにご連絡したら駆けつけてくださったという。

7、生きている世界の蛇と怪奇動物展 1979年 サンシャインシティで行われた展覧会の会場風景、子供たちが恐々、恐る恐る見ている。足元には蛇がたくさん。「あの頃ちょっと暗くしてお化け屋敷みたいな設営にするのが流行ったんです」と坂田さん。

爬虫類というと、気味わるい、というのは私の偏見だった。爬虫類の世界は面白いし、いかに高田さんが蛇やトカゲを愛し、可愛がっていたかはよくわかった。そういう愛好家がたくさんおり、その人たちにとっては高田さんは偉い人だった。赤坂御所で皇太子時代の現天皇に爬虫類の話をし、亀を御所の庭にあげたこともあるという。

また普通、夫がそんな趣味に熱中して家中にアリクイやコウモリやアカハナグマまで300種類も飼っていたら、妻や子供からはブ−イングが出そうだが、今日来てくださった奥様もお嬢さんも、夫(あるいは父)の仕事と人柄に絶大なる尊敬と誇りをお持ちのようだった。
写真の中で、長男や次男が蛇を首に巻いているものもある。高田家のみなさんにとって、爬虫類は「気持ちの悪いもの」ではなく「可愛らしい生き物」であったことを知り、今日は参加して良かったと感じた。サイレントの映像に、柳下美恵さんが素敵な音をつけてっくださったのも良かった。
爬虫類のパイオニア、高田栄一さんは2009年10月13日逝去、84歳だった。

2016年7月23日   森まゆみ

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