巻頭言アーカイブス

新国立競技場に都民・国民の意見を

2020年のオリンピックが東京にならないように祈念しておりました。
1964年の東京オリンピックに浮かれていた子どもの自分が苦く思い出されます。
関東大震災、空襲で焼き払われた古き良き東京はこれで息の根を止められました。
日本橋の欄干は高速道路で見えなくなり、佃の渡しも廃止されました。
道は拡幅され、人のものではなく、車のものになりました。私達はゆったりとした、気持ちよい生活を失いました。
その反省から、1984年に地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を始め、ハイテク巨大都市東京が投げ捨てたもう一つの価値を守ることにつとめました。

いま福島の原発事故に収束の気配が見えず、7年後にどのくらいの健康被害が出ているかもわかっていません。東北沿岸の人々が仮設住宅から出られるめども立たないのに、ただでさえ、足りない建設資材と職人を東北から奪うオリンピックを行ってよいのでしょうか。勇気とか感動を合い言葉にスポーツに目をそらすのは、まるで民衆の不満を「パンとサーカス」でそらそうとしたローマ皇帝ネロの所行と同じに見えます。
しかし東京に決まった以上、これがどう行われるかに関心をもたざるを得ません。
看過できないのは千駄ヶ谷駅前に巨大な姿を現す新国立競技場です。
2016年のオリンピック誘致では国立競技場は晴海地区に作られるはずでした。
今回政治家や官僚が「世界一のスタジアムを作る」と豪語するこの競技場はイラク出身のザハ・ハディド氏の設計がコンペで最優秀とされましたが、みるところ自転車競争のヘルメットか、巨大な昆虫のような形をしています。海外では「過去の未来主義の産物」「周囲に全く会っていない」との論評も見られます。

これに対し世界的にも有名な建築家槙文彦氏がJIAの機関誌で、
1、あまりにもスケールが大きすぎて、周りにも引きがなく、威圧的
2、銀杏並木と絵画館に象徴される歴史ある神宮外苑の景観を壊す
3、8万人の常設客席をもつスタジアムは人口減少の東京に重荷になる
4、コンペは国際的な賞をもらったことのある建築家しか参加できず、未来の才能にチャンスを与えていない。
原文はもっと深く陰影のあるものなのでぜひお読みください。

この建物は国立であり、都民だけでなく日本国民はすべて意見を言う権利を有します。
1300億という予算もそもそも大きすぎますが(横浜日産スタジアムは600億)これが3000億にも膨らむといわれています。
新宿の建設予定地は神宮外苑の風致地区で高さ制限は15メートルでしたが、都の計画審議会はこれを新国立競技場建設のため簡単に75メートルに替えてしまいました。
そして霞ヶ丘の公営住宅の住民が、建設のため追い出されようとしています。 一方で専門家は1964年のオリンピックに使われた、現在の国立競技場を改築・増築することも十分可能だと述べています。「環境にローインパクト」「もったいない」はこれからの人類の目指すべき価値ではないでしょうか?
もともとの「1964年時の遺産を有効に使い、臨海部を中心としたコンパクト五輪」という趣旨にもかなっているのではないでしょうか。
地域での経験もふまえて、神宮外苑の景観を壊さない、子孫につけをまわさない、競技場が作られるように十分な論議を尽くしたいものです。
新国立競技場WEBサイト

(2013・10・24 森まゆみ)