巻頭言アーカイブス

6月も半ばとなりました。

野田首相は官僚、財界、電力会社の求めに応じ関西電力大飯原発3、4号機の再稼働を決めました。私たちはこれを許すことはできません。

1、原発はそこで働く労働者の被曝をもたらします。かたや東電の清水社長は惨事の責任をとらず、5億の退職金をもらい、別会社の顧問となっています。かたや危険な労働は過疎地の仕事のない人々が担い健康を損ないます。こうしたことは格差に反対し、差別をなくす人道的観点から許せません。稼働に賛成する企業家、政治家や官僚は自分が福島に住み、原発労働者になる覚悟を表明してから再稼働してください。

2、福島の問題は何も収束しておらず、その後始末もできていないのに、再稼働は狂気の沙汰というものです。7万人とも14万人とも言われる人々が故郷を失ってさまよい、福島の子どもたち3万8千人の県の検査によれば甲状腺は36%に異常が認められています。こんなときに再稼働なんてあり得るでしょうか?

3、昭和30年代、しょっちゅう停電はありましたが、懐中電灯を持ち出し、ろうそくを付けて、けっこう楽しい、親子の絆が深まる時間でした。停電があってもいいじゃないか? 昨年夏も東京電力管内で原発は動いていませんでしたが、停電もなく電力はじゅうぶん足りていました。使い放題にあわせるのではなく、節電こそ持続可能な地球への道です。病院や大学や工場で電気が泊まると困るところは非常用自家発電機を付ければいいと思います。

4、原発は『トイレのないマンション』と言われています。使用済み核燃料の処理ができない限り、次の世代に禍根を残します。す。それを濃縮したプルトニウムは核爆弾の原料です。「原発は発電機でなく武器製造所である」(アーサー・ビナードさん)ということを認識し、憲法9条を持つわれわれは、「稼働させると核抑止力になる」といった迷妄とは闘わなくてはいけません。いまも福島4号機の使用済み核燃料プールは宙に浮き、これが壊れると東日本は終わり、いや北半球が終わりだすとすら言われています。

5、福島及び周辺の放射線値の高いところは農業や漁業の生業を奪われ、東京電力や政府はじゅうぶんな補償をしていません。森に放射能は降り積もり、川を海を、田を畑を汚しました。働くという、安全でおいしい食べ物を提供したい、という人間の生きがいを根こそぎ奪うのが原発事故です。活断層の上にある大飯で事故が起らないとは限りません。 経済といのちとどちらを取るのか? 野田総理の言う『国民生活を守る』は『企業の利益を守る』だけなのではないか? 今の経済界はまさに『資本論』でマルクスが引用した『わが亡き後に洪水は来たれ(apres moi、le deluge))*そのものです。 内部被曝は福島だけでなく、食品の流通に伴い全国に広がっています。自分だけ安全な所に逃げられはしません。恐いから考えないようにするもまちがいです。勇気を持ってこの事態に立ち向かい、冷静に考え、若者やこどもたちの命を最優先に守りましょう。

* この言葉はフランス、ルイ15世の愛妾、ポンパドゥール夫人が国費で館を建てさせるなど奢侈な生活が批判された時、「私の死んだあとに洪水がくればいい」といったことに由来し、日本では『後は野となれ山となれ』とも訳されます。まさにルイ16世王妃マリー・アントワネットが「パンがないんですって、じゃお菓子を食べればいいのに」と民衆にうそぶいた言葉と好一対の無責任です。

(森まゆみ)