巻頭言アーカイブス

震災から八ヶ月が経ちました。

東京は平穏を取り戻したかに見えます。しかし津波のきた海辺の町はようやく瓦礫が片付いたものの、まだ新しい町の姿は見えていません。先日、原発のある女川町で宮城最後の仮設住宅の建設現場を見ました。阪神淡路のとき、神戸鷹取に紙の教会を建てた建築家の坂茂氏がユニットボックスを市松状に配した美しい3階建てを作っていました。
入居が決まった人は「待っていた甲斐があった」とよろこんでいます。しかし隣りに最初に作られたプレハブの仮設とはかなりの格差があります。こちらは寒さに耐えられず、断熱材をまるでどてらのように着せる工事が進行中でした。どちらも独りで6坪、2人で9坪、3人以上で12坪という仮設の基準は狭苦しいものといわざるをえません。これから長く厳しい冬が東北を襲います。
フクシマ原発はいまなお収束していません。とめた浜岡にも使用済み核燃料が6000本あって、格納容器は冷温停止にも至らず、まだ危険はすぐそばにあります。人々の関心は外部被曝から内部被曝に移り、東北の産品を忌避する動きも顕著ですが、それでは東北の産業は消えます。売るものはきちんと計ること。50代以上は納得したら東北の産品をできるだけ買って支えることを提案したいと思います。
そして影響を受けやすい妊婦、赤ちゃん、こどもたちを安全なところに逃がすという基本的なことさえ、政府が本気にならないためにすすんでいません。いっぽう家族はばらばらになりたくない、と覚悟して福島市、郡山市はじめ福島県内に留まる子どももいます。単に避難を呼びかけるだけでなく、福島県内でもできるだけのびのびとした生活や勉強が保障されるようあらゆる努力をしましょう。
また原発に注目が集まる中でゲンパツと同じ構図をもつ八っ場ダムや、普天間基地の問題があるは知らぬ間に強行され、あるはうやむやになり、国民が理解も納得もしないまにTPP交渉が始まるというようなこと、すべてに私たちは反対します。3・11を忘れない。3・11で流された方たち、家を失い、仕事を失い、家族を失い、原発でふるさとを追われた方たちのことを忘れない。私たちは東京からできるだけのことをしていきます。

(森まゆみ)