No.749
2003年11月8日(土)
10時過ぎ、ほぼ定刻に石垣港着。朝起きて甲板から見た八重山の海は、曇り空のせいで想像ほどは美しくありませんでしたが、それでも港の中までエメラルド色。とうとうやって来ました。
今回の旅、石垣に着いてからどうするかは何にも決めていなかったのですが、下船間際にまず竹富島に向かうことが決定。とりあえず町まで出て、八重山そばで腹ごしらえをした後、竹富行きのフェリーに乗り込みました。
(道すがら立ち寄った石垣市の市立図書館はなかなか立派な施設で、八重山(および台湾)関係の資料室でしばしのんびりしてしまいました。インターネットも無料で使えるので、日々録アップしようかな、とも思ったのですが、これは順番待ちが多くて断念。森さんの本も2冊ありました。『明治東京畸人伝』と『とり戻そう東京の水と池』。)
あっという間に到着した竹富島。港から集落までの鋪装された道を、両側の牧草地で草を食んでいる牛たちを眺めながらのんびりと歩くこと10分あまり、白砂の道に石垣、赤瓦の家と屋根の上のシーサー、咲き誇る花々、「これぞ竹富」という風景が開けてきました。足りないのは燦々と照りつける日差しぐらいのものです。一目で気に入りました。石垣の離島桟橋で予約を入れた民宿松竹荘は、集落の入り口近くにあり、玄関先に咲き乱れる、ひと際見事なブーゲンビリアが目印です。荷物を置いてさっそく散歩へ出かけました。
夕方は西桟橋へ。夕日の名所。水平線上には厚い雲がかかっていて、「ちょっとどうかな」と思っていたのですが、最後の最後に真っ赤な夕日が現れ、あっという間に沈んでいきました。色合いを変えていく雲の、また美しいこと。そして、薄暗くなるまで桟橋にたたずみ、ようやく腰を上げ宿へと戻る途中のこと。赤瓦の家々の上に、まんまるの大きな月が、ゆっくりと上っていくのに遭遇しました。雲がたれ込めいた西の空に気を取られていてわからなかったのですが、東の空はすっかり晴れていたのです。今日が満月だということは知っていましたし、旅に出る前には「水平線から上る月が見たい」などとほざいたりもしていました。ただ、周到に下調べして然るべき時間に然るべき場所でそれを待つ、というのもつまらないと思い、結局あれこれ考えるのはよしにしていたのです。それだけに、想像もしていなかったこの光景には、驚きと喜びがありました。
ところで、13日と14日は、年に一度の竹富一の大きなお祭り「種子取祭」。今、島じゅうがその準備でそわそわとしています。昼はそれぞれが普通に働いていますが、夜になると集会場や個人宅に集まり、踊りの稽古に精を出します。旅に出る前、アオキとふたりで、「練習しているところとか見られたらいいね」と話していたのですが、夕食の時、宿のおかあさんに訊いてみると、すぐそばの家でも稽古をしていて、昨日はおかあさんも指導に行ったのとのこと。「そこの角を曲がると三線の音が聞こえてくるから、見てきたらいいさ」と云ってくださったので、夕食後、さっそく行ってみました。その家で行われていたのは女性による踊りの稽古。衣装は普段着ですし、まだそれぞれの息も合っていませんが、踊り手教え手双方の真剣な眼差しから、島におけるこの祭りの大切さがひしひしと伝わってきました。
朝食 なし
昼食 石垣島 ゆうくぬみ 八重山そば(400円)、コーヒー(確か300円くらい)
夕食 竹富島 松竹荘 オリオンビール、刺身、グルクンマース煮、もずくにんにく和え、田芋、ほか
船賃(石垣港ー竹富港) 1100円(往復・八重山観光フェリー)
宿代 5000円(1泊2食)
コインランドリー 200円(洗剤込み・松竹荘)
シークァーサー・ジュース 400円(たるりや)
(宮地)
いよいよ竹富島である。やっと、である。
しかし、桟橋に着いた時の印象は、想像とは少し違った。なんか整備されているのだ。桟橋から屋根が続き、風化していない、というか完成したばかりと思しき赤瓦の待合室。
散歩に出て驚いたのは、どやどやと団体でやってくる観光客の多さ。こんな時期だしすいてるだろうというのもあったが、それ以上に驚くのは彼等の観光の仕方だ。桟橋でフェリーを降りたらそのままバスに分乗してぐるーっと一周して(たぶん)、バスを降りると水牛車に乗ってガイドさんの安里屋ユンタを聴いて、またバスで桟橋に戻って、次の島に行くのだ。白い砂の道に降りる時は、バスと水牛車を乗り換える時くらいだろうか。どんな島だったかよりも、何島周ったかが、大事なのだろう。
竹富島は小さいから日帰りでも充分、みたいなことををこれまでよく目に、耳にしてきたが、とんでもない。はじめは一泊のつもりだった私たちはすっかり居着き病にかかり、散歩から帰ってすぐにもう一泊延ばした。
松竹荘のおとうさんによると、竹富島の集落はまるごと国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されているので、国からかなりの補助金がおりるのだそうだ。そこで、あの桟橋の待合室が出来てしまうわけである。集落の人々がそれほど望まなくても、補助金は使いきらないと次がなくなるから。うーん。旅行をすると日本という大きなシステムの歪みがよく見えてしまう。グローバルなんてほんとうは小さな日本国内にだってあてはまらないのだ。
たとえばの話、小さな島で必然性の曖昧な防波堤工事をしている。息のつまる人工世界にうんざりしている者からすると、綺麗な海をこれ以上汚すな、人工的な線を入れるな、と思う。でも、それは島の人たちにとっては現金収入のひとつであることも見えてくる。だから迂闊に、余計な工事をするなと言えなくなる。便利の上にあぐらをかいて生活している自分が、過酷な自然や戦争を体験してきている人たちに何からどう話したらよいのか、そもそも僅かな滞在でそんな関係にすらなれるわけがない。
そんなことを考えながらも旅人は、西に水平線に落ちる夕陽に行き、東の空に生まれたての赤みを帯びたおっきなまんまるのお月さんを仰ぎ見ては言葉を失い、夕ご飯でいただいたニンニク入りのもずくに感心してはビールを呷るのだった。
(アオキ
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