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くまのかたこと

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3月30日、31日、4月1日、2日、3日、4日、5日

3月30日(月)
今日は覚悟して大英博物館.ブリチッシュミュージアム。おお。ただだ。イヤホンを借りる。歴史の教科書でならったロゼッタストーンをはじめ、エジプトのミイラやギリシアの赤絵や黒絵の壷、遺跡をソノママ持ってきたのや、おびただしい。みんな略奪品だろ、現地にかえせ、といいたくなる。だからみんなただで見せているんでしょとイギリス人の言い訳も聞こえそうな。ロンドンにあるから安全なんで、現地にあったらとっくに壊されていたかもよ、の声も聞こえる。6時にチャイナ街でばったり澄子さんに会う。二人でレミゼラブルを見る。狭い舞台でうまくやるものだ。帰り中華街でお粥を食べる、店の人感じいい.それにしても世界中、どこでも驚く中華街の活気。

3月31日(火)
地下鉄にも慣れたので今日はテートブリテンに行く。これまた膨大な絵画があるが、まずはターナーをじっくり見る。それからテムズ川をテートモダンまで船でさかのぼり、カフェでスムージーとラップですませる。ラップは薄い固いクレープみたいなのに、いろんなものが巻いてある。モダンもすべて見ていたらきりがない.白山南天堂の時代の未来主義、キュービズム、ダダ、シュールレアリスムなどを中心に見る。でも現代にな近づけば近づくほど心和む美しい絵がない.ほしいと思う絵もない。どういうことか。そこからオクソなる古いビルを改装したアートスペース、ヘイワード美術館まで歩いたらさすがにつかれた。バーで白ワインを頼んだら、ハッピーアワーだといって赤ワインとつまみもつけてくれた。

4月1日(水)
朝9時45分にホテルで待ち合わせ、ガトウィック空港までタクシーに乗るがこれが遠い遠い。午後1時半のBAでチュニジアへ.機内食はサンドイッチのみ、これがけっこううまい。4時半頃空港へ、目抜きのブルキバ通りに面したホテルアフリカに5時半、やれやれ一日がかりだ。この五つ星ホテルに4泊して往復の飛行機大込み460ポンドはよほど安い.すべて恩田さんの手配のおかげ.感謝。ホテルで休んでシェスラーなるレストランへのみちを聞き行くが迷う。フロントの女、親切心なし.適当に教える。そのうちみんなとはぐれ携帯もつながらず泣きそう。なんとか無事に落ち合い、ホテルマンに案内してもらうが.とても地図では行けそうもないところだったが、迷ったかいの有るすてきなレストラン。ルジェという赤い小魚の揚げ物、いかのフライ、タイのグリル。ワイン飲んで4人で100ヂナール、7000円は安い.どのウェイターも役者がおなり。

4月2日(木)
チェニジアはかつて地中海で覇権を争ったカルタゴで有名.テュニスから12キロほどだが、足よわな人にあわせてタクシーをチャーター。一日150ディナール。ちょっと倦怠感を漂わせた中年の俳優みたいな運転手来る。英語がかなりできるので助かる。150のうち、ホテルの取り分は少しで、ボスが残りをみんなとり.彼には月に300しか給料をくれないという.もとは図書館員だったが、この仕事の方がいろんなところに行けるし、人にあえるし楽しいという.リベートやチップももちろん余禄に違いない.離婚して母親とハマメットで二人暮らし。チュニジアの人口の五分の三はオリーブ産業に従事しているといい、生産高はギリシア、スペインに継いで3位、ちなみにイタリアは4位。見渡す限りオリーブ畑で、ちょっと南イタリアを走っている気分。この辺の人はイスラム教徒で穏健で平和で、マア経済もそこそこ。ロンドンからも3時間、パリやローマからならもっと近く、ヨーロッパ人のバカンス地帯.外国人と話すのに慣れている。
カルタゴの遺跡ではものすごく強引でうるさいガイドの女性に捕まって頭がんがん。いかにカルタゴの文明が優れているかを目をみつめて話す.目をそらすとエクスキューズミーと来る.こらこらよく聞けという感じ.閉口。昼ご飯は高級で料理が来るまで長かった。高かった。それからシティーブサイドという、白と青の美しい町を歩く。ちょっと観光化していたが、そこからの青い海の眺めは素晴らしかった.スペインあたりよりきれい。澄子さん、銀のネックレスいい買い物。遺跡をいろいろ巡り.劇場で悪のりしてアリアを歌い.満足してもどる。今日はロリエントというレストランに行った.悪くないが、人気なくわびしかった。


4月3日(金)
昨日の運転手、8時半に来りて、今日はスースとケロアンに連れて行くという。エルジェムに大きなコロセウムあれど遠すぎるとか.やたらとケータイをかけるのは行く先々の手配か。両都市とも世界遺産なり.金曜日はイスラム教徒しかモスクには入れないし、博物館はしまっていた.ケロアンへいく途中、羊の大群を見る.これすべて毛はカーペットになり、肉は食べられる.途中らくだの首をつるす肉やあり。足も切ってぶら下げてある.食欲減退はなはだし。カーペットの博物館あり.店あり。口のうまい番頭の男、値切るたびに「主人に聞いてくる」という.これ戦術なり。赤い小さな絨毯を85ディナールで買う。カードで買うのがちょっと不安だった。このよる、恩田さんとロケハンしていたいかにも「チェニジア料理」の店に行く.素朴な味、そしてうまいワイン.ウェイターはわざわざ自分の椅子を盛ってきて酒をついでくれたり、自分のスプーンで客の料理を味見したりとふざける。ちょっと芝居を見ているようだ.


4月4日(土)
バルドー博物館、おびただしいモザイク画を見る。海の神ネプテューン。詩人ヴェルギリウス、その他、当時の生活がよくわかる図柄に見とれる。
そこから中央市場を回り、旧市街メジナへ。ものすごい混雑で前に進めず.両脇からはニイハオの声かかかり、中国人と日本人の区別付かぬらし。そりゃそうだ。わたしもモロッコ人、リビア人、チュニジア人の区別付かないもん。顔をしかめるとこんどはコンニチワ、サヨナラと来る.しつこくないが、それでもぐったり.雨が降ってきて、石畳の路地はさながら洪水なり.それでも品物がぬれないほどに高くなっている。モスクは午後は閉鎖。奥のレストランで羊肉の炭火焼を食べる.昨日味をしめたが今日も臭みなく美味しい。それからまたくねくねもどって、つかれて、フランス門近くのカフェでカプチーノを飲んでいると、時ならぬ女の泣き声、何だ何だの人だかり、女は泣き続け、警官が来た.
最後のよるだからと最初の番に行ったシェスラーなるレストランにおもむくもまたみちに迷う。ほとんど違うメニューだったが相変わらず美味しい.ここのハリッサなる唐辛子味噌はスモーキーで、これとオリーブ油を混ぜたのにフランスパンを付けて食べると実にうまい。赤ワイン、チュニジア産,こくがある。隣りの美人4姉妹、常連らしく細雪状態。ウェイターがふざけて銀のさらにのせたディナール紙幣を吹いたりして愉快。どこまでやったら客が不機嫌になるかを心得たきわどいパフォーマンスなり、

4月5日(日)
テュニジア最後の日.フライト夕方なので、午前中せいせいしたところに行こうと、行ってないラマルサとガマルタにタクシーを飛ばす。運転手はフランス語のみ。それでも一生懸命説明してくれる。橋は日本のお金でできたとか。ここは再開発地区だとか。フランス系の自動車工場だとか。私のでたらめフランス語で対応す。空は青く、チュニジアンブルーのいえ、美し。北アフリカ戦争でのフランス軍、アメリカ軍の兵士の墓地に連れて行ってくれる。これが一番の収穫だった。莫大な金をかけて素晴らしい海の見えるおかの上に墓標が並ぶ。
澄子さん、これに比べて日本の兵士は浮かばれない、としきりにおっしゃる。でも日本が侵略した朝鮮半島や中国大陸にこんな施設を設けられるはずはない。瑶子さん、二度とこういう墓の下に眠る人がいないように、と管理事務所の人に伝える。向こうも深く首を振る。海の見えるレストランにて、海老のグリル、ヒラメのムニエルなど食べ4人でワイン二本をあける。印象的な旅の最後だった。

森まゆみ

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