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くまのかたこと

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2000年12月28日(木曜日)

12月6日
毎日、ヤネセン取材の日々。寄る、伊東孝さんの「日本の近代化遺産」(岩波新書)の打ち上げ。神保町にて。東京の橋研究会のころからの、長いおつきあいですが、勝どき橋はいつ上がるのかな?

12月7日
夜、赤坂のラポーというタイ料理屋へ。めちゃからい。めちゃうまい。来年一年もう予約でいっぱいとか。今日ならあいてるけど、との逆ナン電話で仲間があつまる。今年、いちばん腹たつ言葉大賞は「巨乳、女子アナ」に決定。「巨?、男子アナ」っていってみろって。

12月8日
阿佐ヶ谷のスペースで前から会いたかった朴京美さんの韓国の舞踊と衣装の話を聞く。岸田衿子さん、林のり子さんからも聞いていたし、第一、サトコ(クマの子)の大学の先生でもある。こんな情熱的な人に久しぶりに会った感じ。彼女の『庭のぬし』(クインテッセンス出版)はすてきな本。

12月9日
三鷹市では市のマスタープランを、市民が討論して作りました。その発表会に呼ばれていく。文京区でも出来ないか。ここから憲法も自分達で作って行けないか。帰りに吉祥寺の林小枝子さんのうちにひさしぶり訪問。

12月10日
須賀敦子対談集のため、解説を書く。こわくてやさしくて会話の名手だった須賀さん。こえが蘇りしばしボーゼン。河出書房からの全集も無事完結。読んでね。

12月11日
ひとりで浅草橋を歩く。おなかがすいて、石焼ビビンバの店にはいった。これがうまい!おそらく日本のチェーン店で最高じゃないか。神田あたりにおおい。

12月12日
夕方、沖縄の寄田さんと新宿の京王バスターミナルでまちあわせ。どんどん長距離バスはでていく。きっと君はこなーい、なんて歌いながら待ってる。松本行き乗りたーい。ごめんごめん、とよりポン。北大の大崎先生と3人でトヨタ財団にインドネシアのはなしを聞いてもらいにいったのでした。

12月13日
一日、原稿書きと16日のシンポのおさそい。

12月14日
朝からそわそわ。沖縄からヒロシが帰ってくる。赤いキャップにジーンズの息子は171センチ。東京動物園協会で絶滅しそうなアカガシラカラスバトの話を聞く。

12月15日
江戸東京博の会議。コスト感覚がない、とだけいういまの当局と、文化は赤字にきまってるという学者のものすごい距離。ともかくヤネセンはどんなスポンサーもなく15年、文化をやってきたわけで。黒字じゃないけど赤字でもない。

12月16日
「馬と学校を考える会」シンポ。東大農学部にて。心配したが92人参加。岩手や佐賀からも、いきずりのひとも。4時間、つかれた。ありがとうございました。

12月17日
シンポの興奮さめやらず。一言では要約できないのでここには書かない。よりぽんとなかちゃんが泊まってヒロシおおよろこび。3人で東松山に新しくつくっているこうぜん牧場へ。会員募集中。

12月18日
六本木国際文化会館にて曾弥達蔵のご子孫とあう。よる、家族で散歩、白山ラーメンを食べる。風邪ひく。

12月19日
夕方、谷中鳥よしにてヤネセン忘年会。ひごろお世話になっている山下さん、守本さんと。フグ鍋を囲む。2000年をふりかえるも守本さんとの歳の差に絶句。イチローじゃないが、見たアニメやCMがちがうのね。

12月20日
東大生産技術研究所に藤森照信さんを訪ねる。「僕のそだったうちに近代は三つしかなかった。電気とガラスとおやじのつくったラジオと。つまり高度成長で生活が一気に江戸から近代に飛んだんだね」なんて話しをしてました。このひ、如月小春さん、くも膜下出血でなくなられショック。頭のよくて上品な、いつ会っても気持ちのいい方でした。

12月21日
ひさしぶりに新潮社のMMK(motetemotetekomaru),YUKA KIMURAと昼食。そのあとNHKへ。BSブックレビュー。夕方より、幡ヶ谷のチャイナレストランで忘年会。関川夏央さんの司馬遼太郎賞をいわう。

12月22日
資生堂の福原義春さんに写真家福原有信らのことをきく。東京都の写真美術館は不入りのため閉鎖かとしんぱいされたが福原さんが館長を引き受け、メセナの協力で存続できそうだ。ともかく江戸博にしても現代美術館にしてもあとの迷惑も考えない巨大な建物をたてたのはだれ?建物より展示や資料収集にお金をかけるべきだ。

12月23日
ヒロシは家にいるものの、おたがい忙しくゆっくり話しもできない。ただ食事のあと、皿洗いをする。沖縄での日課だそうで。やっぱり可愛い子には旅をさせろ、ですか。ひさしぶりに千駄木の両親をたずねる。馬の話。学校教育はいきづまり、徒弟教育しか、子供になにか教えられないのでは。大工や料理人になりたいこどもが増えているのもわかるような。

12月24日
クリスチャンでないからイブなんてどうでもいいのだ。吾妻橋のレストランで足長おじさまがごちそうしてくださった。オムライスが3500円でびっくりした。そのあと浅草の松風ヘ。ここはひとりお銚子3本まで。しかも顔が赤い人、女性は少なめにしか出してくれない。清泉をせいせんください、と頼むと、きよ泉ですか、ともってきた。平凡社のYさんと文春のHさんと。

12月25日
17歳の犯罪、とニュースがいうたびにユタカがすいません、と頭を下げる。心傷付く子も多いだろう。真似する子も出るだろう。そこだけ強調しないでほしいものだ。花岡事件が和解。おそすぎる。戦争をにない、知ってる世代はいかに多くのことに決着をつけないままにこのよからトンズラするつもりなのか。この夜、都市公団の方達4人、根津に見える。コレからの町づくりについて本音ではなす。飲み屋は大事。駅前再開発で汚い飲み屋街をクリアランスしたのはまちがい。飲み屋のママがいないと日本のお男性の自殺率は上がる。飲むにつれ論理もメチャクチャに。

12月26日
田端エルバにてヤネセン子供忘年会。すげえ食欲。吉野家の牛丼のほうがよかったかも。夜、朝日のハヤサカさんと一平ちゃんとひさしぶりに荒木町へ。全然、仕事してないようですが書いた事以外の時間はすべて仕事。まるで女工哀史のごとき毎日なのだ。来年、1月に『森の人、四手井綱英の90年』(晶文社)が出ます。

12月27日
いまやっているのは2月に出る『一葉の四季』(岩波新書)の直しでス。こちらもよろしく。ヤネセンあとの2人はいまごろ寒風の中、自転車ではいたつしていることであろう。ゴメンネ。

森まゆみ

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