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日々録   2001年11月

 さて、その続きの話。
 
 まもなく下北沢というところまで来た池ノ上あたり、とあるレストランの前を過ぎようとした私達の目に飛込んで来たのは「高田渡とその仲間たちLIVE」の文字。思わず近寄ると、まさにこれから。料金は3000円。山崎の影響で渡ちゃんを耳にするようになり、機会があれば生で聴いてみたいねと言ってはいたけれど・・・。あぁ、料金は3000円。エイッ!これも出会いだ、もう後は野となれ山となれってんだ!金欠じり貧のヤケクソだ!と二人分を予約する。

 小さい店内は超満員。お客さんの間から背中をまるめて渡ちゃん登場。
「目の前に若い女の子が並んじゃって、いつもと雰囲気が違いますね。やりにくいですね。でも、仕事ですからね。」噂に聞く渡ちゃんトークで始まったライブ。その仲間たちというのは、ギタリストのジャンゴ・ラインハルトをこよなく愛するギターとウッドベースの三人のバンド(その中の一人が以前渡ちゃんのバックをやっていたらしい)。
 渡ちゃんソロ → ジャンゴ・ラインハルト → 一緒に → 渡ちゃんソロ・・・みたいな順番で、もう頬張り切れないくらいのライブでありました。渡ちゃんのバックに三人が付くと、なんかいつもと違うハッピーな渡ちゃんワールドが出来上がり、そこかしこから、クッ、クッ、クッ、と笑いが洩れておりました。
 最後の曲は渡ちゃんの計らいで、その仲間たちが「ラ・ジタン」(ジプシーを唄った曲)を演奏したのですが、まん中でスポットライトを浴びて何もしない渡ちゃんが背中をまるめてぽつねんと佇むさまは、私は一生忘れないでしょう。

 財布は飛んでっちゃうくらい軽くなっちゃっいましたが、図らずも盛り沢山ないちにちでした。
 ながらくのお付き合いありがとうございました。
(アオキ)

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 めじろ押しの一日。

 駒場の東京都近代文学博物館で開催中の「幸田家の人々」に行ってきました。露伴の兄弟、娘の文、その娘の青木玉、更にその娘の青木奈緒という順序でそれぞれの生涯が多くの展示品と共に簡潔にわかりやすく紹介されていました。
「幸田家の人々」の内容もさる事ながら、近代文学博物館の建物も感動的でした。かつては前田侯爵邸だったというゴシック変型様式の洋館をそのまま生かして使われており、そこは慌ただしい日常からまったく隔離され、時間が止まったようなまるで異次元。気高くも派手さのない重厚な造りは、圧倒的な存在感でそこにいる人間を内包してくれました。
 でも、谷根千ねっとの掲示板(10/7付)によると廃館もしくは休館が決まりそうだとの事。東京にずっと居ながらこの博物館の存在を知らなかったことが悔やまれます。これからは余計なものを作るよりはこういう技を尽くした美しい建物を大切にして使っていくべきだと強く思います。
 この展示は12月2日までであと僅かですが、お時間のある方は是非ともお運びください。(無料です!)日が暮れ始めた頃建物を出て遠くから見ると、公園の大きな樹々に囲まれ周りは赤や黄色の落ち葉の絨毯、とんがった屋根の上には夕月が浮かび、窓に温かい灯りが点った古い洋館はまるで童話の世界でした。

 その後、下北沢へ出ようと住宅街をてくてく歩くと松蔭学園を少し過ぎたところで、「十二月文庫」と木の看板の掛ったこれまた絵本から出て来たような小さくて素敵な古本屋さん。ウインドウの向こうで男性二人がテーブルに着いている。(どうやら珈琲も飲めるらしい・・・)着膨れした私達がズカズカと入るのも一瞬ためらわれたがこれも出会いだとドアを開けると、静かに流れるクラシックがまたも私達を別世界にいざなう。木の本棚、飾られたアンティークの小物たち、そこにある全てがしっくり手に馴染みそうな体温を持っている。扱うのは古本とクラシックのアナログ盤。同業者としてはあまりの雰囲気の良さに軽い目眩を憶えながらも、とろけてしまった。宮地は諏訪優/著『アレン・ギンズバーグ』、私はS・トムスン/編『アメリカ・インディアンの民話』を購入。もちろん珈琲も戴いた。とても美味しかった。お店をやってるのは私達と同世代のさくさくした雰囲気の女性の方。また行きたいお店。
 思わずお金を使ってしまったけれど、素敵なお店の発見で気分良くまた下北沢に向う。

 そして、この先私たちを待ち受けていたものは・・・
(アオキ)

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 従姉妹の結婚披露宴に出席したあと、おばあちゃんの顔を見に弟夫婦と実家に立寄った。そこで面白い習慣をおばあちゃんから伝授されたので、忘れないうちにここに記しておこう。なぜそんな話になったのか、お酒をお伴にした席だったので思い出せないのだけれど、ご近所などから戴き物をした時のお礼の話。

 折詰めなどでお裾分けを戴いて入れ物をお返しする時、その中にマッチを3本入れておく。マッチの先についている硫黄にかけて、「先を祝う」という意味があるのだそうだ。そうすることによって、慌てて器の中に何か詰めなくてもお礼の気持ちは通ずる。お互い無理のないお付き合いをする工夫だ。

 その手、使ってみたいけど相手がその意味を知らないと新手の嫌がらせみたいだしな〜なんて笑いながら、私も義妹もいたく感心した。
 父も交えた詳しい説明によると、本来は付け木という、経木のように薄くした木をくるくるまるめた先に硫黄を付けておき、竈などから火を移す時にその薄い木を端から裂いて使ったものを入れていたのが、時と共にマッチに取って代わったそうだ。なぜ3本なのかは不明。

「私の生まれた千葉県だけの習慣なのかもしれないなぁ」と、おばあちゃんは言ってましたが、どうなのでしょう?
(アオキ)

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『OPUS オプス』創刊号 オプス編集室 ¥1000 入荷しました。

『OPUS』は、アートの理念を中心に社会における様々な分野とのコミュニケーションを図る独創的な統合誌。巻頭カラーART GALLERYは岡本太郎、ヨーゼフ・ボイス、横尾美美、金大偉、梅澤千絵子、金森昭憲、石井匠。創刊記念特集は「癒し」をこえてアートの力/POWER OF ARTと題した岡本敏子、鎌田東ニ、大倉正之介らのインタビュー。「無声映画と活動弁士を語る/澤登翠」などトピックス、コラム、エッセイも満載。

店内奥テーブルの上にあります。

(神)

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 本日買い取り16件。大口のものはなかったけど、久しぶりに次から次へと押し寄せる本の波に身をゆだねました。よいものも結構あり、心地よい疲れ。これを書き終ったらようやくビールにありつけます。(宮地)

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 今日は祝日なのでお店の方は、12時開店。いつもなら10時頃に起きて、のんびりと支度してから出勤するのですが、今日はちょっと早起きして11時過ぎにはアオキと2人で家を出ました。今日から3日間、ご近所にある島薗邸という洋館が一般に公開されるので、そちらに伺ったのです。正式には「たてもの応援団ウイーク in 島薗邸」という催しです。
 昭和7年に建てられたというそのたてものは、玄関から書斎、居間、台所に電話室などなど、そのそれぞれに細かい工夫や遊び心が施されていて、心惹かれました。たとえば作り付けの本棚の素晴らしさに思わずため息を洩らしてみたり、また、あちこちにある秘密?の引き出しにわくわくさせられてみたり、といった具合。今日は天気も良く、ガラス戸後しに見える庭の緑がきらきら光っていて、何だか幸せな気分になりました。明後日までですが、お近くの方は散歩がてら行かれてみることをおすすめします。明日の15時からはヴァイオリンとピアノによる演奏もあるそうです。
(宮地)

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このところ、おにぎりを持って来ています。
2個でしっかりごはん1合分。
冷ごはんを詰めて持ってくるより食が進むし腹持ちがいい。
そしてなにより、なぜか気分的におかずが1品で済むので経済的。
(ただのごはんにはどうしても主菜と副菜が欲しいというのに)

だからなんなのかしら。
いや、めっきり寒くなりましたねえ。
ふぅ。

(神)

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 昨日、文庫新入荷棚を2棚に増やしたことにともない、新入荷の文庫を30冊ほど面出しで陳列できるようになりました。「これは!」と思うものを新入庫棚に入れても、お客さんに発見してもらえないせいか、なかなか売れないということが多かったので、この「面出し大作戦」には期待するところ大だったのですが、今日、早速その中の2冊が売れました。どちらも暫くのあいだ棚の中で埋もれていたもので、喜びもひとしおといったところです。

 新潮文庫 『バリ島 不思議の王国を行く』 大竹昭子 文 内藤忠行 写真 800円
 創元ライブラリ 『夢想の研究』 瀬戸川猛資 著 700円

というのがその2冊。売れてしまった本は日々録に書かないことにしているのですが、今回はうれしいので特別に書いてしまいました。
 
 以下は、ここ1週間ほどの間に新入荷棚に入れた本のなかで現在面出ししているものたちです。この面々にも大いに期待しているのですが、どんなもんでしょうか。

 福武文庫 『クールな男』 マルセル・エイメ 著 500円(ややシミ有り)
 新潮文庫 『サンクスビギング・ママ』 佐々木譲 著 500円
 ちくま文庫 『つげ義春を旅する』 高野慎三 著 600円
 現代教養文庫 『小津安二郎の美学-映画のなかの日本』 ドナルド・リチー 著 800円

(宮地)

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こんばんは。みなさんは星に願いごとしましたか?
おとといの晩は山崎の日々録を読んで、あ、そうだった!とベランダに出たら、いくつもの星が降って来て、びっくりしました。

さて、本日は定休日。いつものように話し合いの後、それぞれの仕事に励みました。
私はウィンドウを模様替え。お料理の本を並べてみました。
(アオキ)


 僕は文庫棚をリニューアルしました。国内50音順棚と海外50音順棚の場所が入れ替わり、文庫新入荷棚が2棚に増えました。
(宮地)

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流れ星に願いごとがありすぎるので一回休み。
(山)

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『12water stories magazine』秋・冬合併号入荷。
 早速パラパラめくると、編集部の佐藤由美子さんの「冬のサンドウィッチ」にブック・エクスポ・アメリカ2001に行って来たことが書かれていた。このエクスポはバーンズ&ノーブルのような巨大チェーン店は加入していない独立系書店の組合がスポンサーになっているため、参加している出版社と書店が直接取引き出来るらしい。だからこのエクスポはアメリカの独立系書店の個性的な品揃えに大きな役割を果たしているのだ。
 なんと、素晴らしい構図!
 自分たちのアンテナに引っかかる本だったら古本、新刊本の区別なく置いてみたいと考えるうちみたいな本屋にとって、日本の新刊本の流通システムは入り込む余地が1ミリもない。今うちの店にある数冊の新刊の本は、良心的な出版社や谷根千工房さんのご好意に甘えているのが現状。闇雲に大量出版するよりも、いい本を丁寧に売った方が出版社にとってもいいような気がするんだけど・・・ひょっとすると私が不勉強なだけで、どこかに風穴が空いていたり・・・したら、いいんだけどな。
 ところで東京で毎年開催されてるブックフェアはどうなのかしら?まだ一度も行ったことないけど。門戸は狭そうな予感はするけど、ものは試しってことで来年は行ってみようかしら。
(アオキ)

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外のラック、100円の雑誌を買いにきたお客さんに向って、
「1000円でーす。」
「‥‥‥」
いくら不景気だからって、お客さんを脅かしてはいけません。反省。

ポエトリーカレンダー11・12月号入荷しました。今号からカワグチさんに替わり配達人は小森君。特集は上海在住のフリーエディター山田泰司さんによる「上海フリ−ペ−パ−事情」です。
レジ付近に置いてありますのでご自由にお持ちください。
(アオキ)

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 今日は遅番で15時に出勤。力仕事に終始する一日となりました。

 まず、昼頃に持ち込まれたという段ボール8箱ほどのマンガの仕分け。僕とアオキの担当分、山崎と神原の担当分、そして状態不良や在庫過剰などの理由でお返しするものの三つに分けていくのですが、しゃがみながらの作業になるので、1時間ほどやっていると膝にきます。
 その後、遅めの昼食をはさんで、今度は在庫の整理。店の裏には、買い取ったものの時間と手間の都合で出せずにいる本が、ボール箱に入れられ積み上げられているのですが、それらの山を、現在の店頭の状況に応じて品出しできるように積み替えます。重たい箱を上げたり下ろしたりするのは当然大変なのですが、それでも何年か前までは結構ひょいひょいとやっていたものでした。しかし去年の在庫棚卸しの際に少し腰を痛めてからは状況一変。注意深くなったのはいいのですが、その分時間もかかります。残り一日をすべてこの作業に費やすこととなってしまいました。でも近々、いいものをまとめて出せそうです。
(宮地)

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 人を寄せつけないような荒涼とした地質に渇ききった青い空、二ヵ月前テレビ画面に映し出されたアフガニスタンの風景は生ぬるい文明人の私の心を奪った。しかし、画面に出てくる人々はトーブ姿に似合わぬ機関銃を構え聖戦に昂揚していたり、故郷を追われ国境を目指す難民ばかり。本来は、文明人には想像できない、土地に合った静かな暮らしがあったはずだと思うと、テレビを見るたび胸が痛む。
 
 そんな折、11月7日付け朝日新聞朝刊、読者からの「声」の欄でアフガニスタンが舞台の数少ない絵本『せかいいちうつくしいぼくの村』のことが書かれているのを見つけた。読んでみたい、そしてどうせなら新刊で店に置いてみようと思い出版社を調べて電話した。ポプラ社だった。
 結果は三回たらい回しにされ、三回とも一から説明させられた挙句、にべもなく断わられた。 うちの店は取次との取引きがないので難しいことは知っている。でも、児童書を出してる出版社だから情が通じるかもしれない、という微かな期待は見事に踏みにじられた。はーあ、歯車グルグルな出版社。まぁ、どうでもいい。

 遠回りしてしまったけれど、どうしても読みたかったので今日図書館で借りてきた。

 『せかいいちうつくしいぼくの村』絵と文/小林 豊
  1995年に書かれたこの本は、著者の小林豊さんが1885年頃戦乱の続く
  アフガニスタンを旅した時に出会った人々や村がモデルになっている。
 
  毎日ニュースで見る荒々しい景色ではなく、美しい色彩で描かれた村は
  春になれば花が咲き乱れ、夏にはあんずやすもも、さくらんぼを家族み
  んなで収穫する。しかし、主人公の少年ヤモの兄さんは今年はいない。
  戦争に行ってしまったから。父さんとバザールに果物を売りに行ったヤ
  モは、戦争で足をなくした人に会って、兄さんのことが急に心配になっ
  てくる・・・

 家族で読める本です。ニュースでは見えないアフガニスタンの人々の本来の暮らしが見えてきます。文京区の図書館にはもう一冊『ぼくの村にサーカスがきた』も置いてありましたので、手にしてみてはいかがでしょうか。
(アオキ)

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  高校の時の同級生が毎年10月に「手打ちパスタの会」なる催しをやっているのですが、今年も昨日、例年通り調布市は野川公園で行われ、アオキとふたりで参加してきました。主催者である友人の同僚、あちらこちらの知り合い、そのまた友人、そんなメンバーが野外でわいわいやりながら、楽しくつくり、飲み、食べるというこの会、今回は開催時期がやや遅くなったため寒いだろうということで「手打ちほうとうの会」になったのですが、これが大正解。楽しい一日となりました。

 昨日はメインのほうとうの他にも、炭火焼きチャーシュー、なす田楽といったメニューがあり、各自が分担して、それぞれの料理をつくっていったのですが、僕はほうとうのうどんを担当。作り方のレシピを片手に生まれて初めてうどんを打ちました。中力粉をこねて、寝かせて、かかとで踏んで、たたんで踏んで、また踏んで。少しづつコシの出てきたかたまりを、綿棒(の代わりの酒瓶)で延ばして延ばして、畳んで切って。そうやってひとつひとつの過程をこなしていくと、いつの間にか目の前には手打ちうどんがありました。そしてふと横を見れば、カボチャを中心に大根、にんじん、里芋、ごぼう、鶏肉などがたっぷり入った大鍋がぐつぐつ煮えていて、そこにうどんを投入してさらに煮込むことしばし、ほうとう鍋の出来上がりです。

 さて肝心のお味の方は?うどんの方はちゃんとコシもありまずまずの出来、とりあえず責任は果たせ一安心といったところだったのですが、何よりもカボチャでつくった、パッと見カレーうどんのような味噌出汁の美味しいことといったら、いや、もう、ほんとに。冷えてきた身体も暖まり、至福のひとときでした。脂身たっぷりの炭火焼きチャーシューも最高の仕上がり。ぱくぱく食べ、かつ飲みました。ガハハハハ!

(宮地)

あら、謙遜ですね、うどんもすっげぇうめーと評判でした。
11時過ぎ、野菜洗いながら一応心の中で「イマジン」唄ってみたけど。
(アオキ)

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店を閉めて、山とふたり晩ごはんを食べに「とん鈴」へ行くと、そこは来週のしし座流星群の話題でもちきりだった。マスターたちは車を出してどこかに観に行くつもりらしい。伊豆に行くか、銚子に行くか、富士山五合目もいい、いや渋滞するからダメだ、etc.....。
なんか楽しそうだなあ。

千葉県の実家にいる時は、私もよく車に毛布とポットの熱いお茶を積んで星を見に出た。もとい、車を出すと星が見えた、だな。夜中に車でぶらつくのは、東京で言えばちょっとコンビニくらいに日常で(私だけか?)、手賀沼のほとり、利根川の土手、いやうちの裏の駐車場でだって、星は当たり前に見えていた。流星も。
あの、鼻がつ〜んとして耳もちぎれるかってほどの寒さの中、しばし冬の夜空を見上げては、
「この、くそ寒いのにあほかい。」
と、車に戻ってヒーターをガンガンに利かすのだ。

話はしし座流星群にもどる。
今年はアイルランドのなんとか博士によると、日本で流星の大出現が予報されているようだ。
18日(日)深夜から19日(月)未明がピークらしい。
「山ちゃんたちも観に行かない?」と誘われたけど、次の日仕事だしな〜なんつって...。
近所の見晴らしのいい路上で観ようかな〜。起きてたら。
ちなみに99年の流星群の時は、うちの目の前の路上からけっこうたくさん見えたのだ。

(神)

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明日11月11日は「世界平和の日」なのだそうです。
11月11日11時11分11秒、祈りの時間、そして皆でジョン・レノンの“イマジン”を唄おうと、日本各地、世界各地で様々なイベントがあるようです。
覗いてみてはいかがなもんでしょう。
「グローバル・ピース・ディ」

(わっしは仕事ですが  山)

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恐ろしい。売り上げが恐ろしく悪い。一日中雨とはいえかつてはこんなじゃなかったのだが。
そんなんで今日はいちんち品出しに精を出しながら、閑古鳥の店で大声で唄っていたらけっこう疲れた。
てなわけで夜はこないだ越して来た3K3の小森くんちに4人でお呼ばれ、鍋をつつき大いに飲み酔っぱらい、爆睡したようなんだがいたしかたなし、と。
じゃ、また。

(山)

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神原が書いた今月の一冊『嗤う茶碗』を江戸・東京の棚に並べました。どうぞご覧ください。上口さんは、洋服屋としてもデザイン、仕立ての両面でかなりの腕前だったらしい。もう一着も残っていないのかしら。是非見てみたいものです。

本日も黙々と品出しに励む。

晶文社『品格なくして地域なし』
        関川夏央 日下公人 奥本大三郎 森まゆみ 津野海太郎 B 1000円
 
北宋社『断層図鑑』戸田ツトム 2000円

秀英書房『南方特別留学生トウキョウ日記』高橋彰/編訳 B 800円

青木書店『沖縄戦−国土が戦場になった時』藤原彰/編著 900円

東京美術選書58『江戸ことば百話』西山松之助/編 900円

早稲田大学出版部『江戸−東京語118話』杉本つとむ B 1100円

講談社『この地球(ほし)を受け継ぐ者へ』石川直樹 1100円
    
*2000年4月5日に北極をスタートして2001年元旦に南極点でゴールを迎えた「P2P」という
 アドヴェンチャープロジェクトの全行程を参加者のひとりである著者が記録。
 「P2P」の正式名称は「Pole to Pole 2000」。世界中から8人の若手冒険家が選抜され北
 極から南極までスキーや自転車の人力だけで旅をし、各地でさまざまな人々と交流をはかる
 ことを目的としたプロジェクト。自分達の力で町から町、国から国を超えて、景色の違いや
 貧富の差などを肌で感じ、またある時はメンバー内の人間模様に、思い悩む著者の純粋な視
 線が素直なことばで語られていて自分も一緒に旅してる気分になった。
  読み終えて、思わず自分の自転車のギアを「3」にセットしたくなるような本です。

(アオキ)

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 今日(11月7日付)の朝日新聞の夕刊に、先日聴いたラドゥ・ルプーのリサイタルの評が出ていました。書かれているのは、クラシック音楽を聴くということについて、たくさんのことを教えてくださった吉田秀和さん。その文章を読んで、あらためて日曜日に聴いたシューベルトのソナタのことを思い出し、幸せな気持ちになりました。本当に、素晴らしいシューベルトでした。
(宮地)

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3日前のアオキの日々録に答えましょう。

うん。気になるよ。
お買い上げの本を袋に入れて渡す時、本の天地がうっかり逆さだと「あら、私ったらがさつかしら?」と。
あとね、1万円からお釣渡す時、お札の天地裏表、ばらばらだと気になっちゃう。夏目さんや新渡戸さんが見えたり見えなかったりしてね。
あ、でもなんだか話が逸れたか。

 続いて、耳寄りランチ情報 第2回「とん鈴」編です。

「とん鈴」 台東区谷中3-13-7  3823-1697 (月)定休 ランチ12:00〜2:00

よみせ通り商店街のとんかつのお店、お酒も飲める。これまでは夜の営業だけだったのであまり知られていないようですが、うまいんです。ここのはなんでも。

人気メニュー
豚にんにく焼定食  豚しょうが焼定食  とんかつ定食  あじフライ定食  各¥750
ハンバーグ定食  ¥1000  ヒレかつ定食  ロースかつ定食  各1200  など

(神)


ていうか、恥ずかしいのできみたちこんなところで今さらそんな疑問さらさないどくれや(退屈なミーティングの時のネタにとっとこ)。

さて、2日前のところに中村哲医師(ぺシャワール会)の講演録をどーんとアップしときましたが、長くてお疲れのことでしょう。わっしも疲れました(打ち込み。ちょっと腱鞘炎気味)。
ラドゥ・ルプーさんの奏でる心地よい精霊たちに思い巡らせたら、もいっちょリンクっ。
情報としては少し遅いのでしょうが、往来堂書店笈入店長の奮闘日記(10/31)によると、中村哲医師の本をかなり入荷したらしい。覗きに行こ。

(山)

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 深まる秋、というよりは、もう冬の色の寒さ。

 先日の日々録でも宮地が書いたように、今秋はルーマニア生まれのラドゥ・ルプーの演奏会に行きました。
 
 もともとクラシック音楽は自分とは違う世界だという思いが強く、宮地と一緒になるまで殆ど耳にすることはありませんでした。
唯一のチャンスだったのは小学校低学年の頃、ピアノを習いたくて近所の教室の門前まで何度か母を引っぱっていったことはあるのですが、今からは想像できないくらい小心者だった私は発表会というものにとてつもない恐怖を感じていて、結局門をくぐることが出来なかったのです。そんなこと今思えばどうにでもなるのに、もったいないことをしました。そんな過去が余計に私とクラシック音楽を遠ざけていたのかもしれません。(な、訳ないか。)
 
 でもこの何年かは、宮地がそばで聴いていれば自然と耳にする機会も増え、年に一度くらいは演奏会に行くようになったのです。でも、まだ馴染めない感も強くありました。
 
 ところが、今回のルプ−とイギリス室内管弦楽団の『モ−ツァルト協奏曲の夕べ』では一番安い舞台後方の席、というのも幸いして(これまでに行ったのは舞台から遥か遠ーい席)彼のピアノを弾く手元や指揮する時の表情、そして何よりも息づかいが聴こえたのに親しみを憶えました。ルプ−さんは、ずっと「ウーーー」と唸りながら演奏するのです。(始めはそれがわからなくて、変なお客さんが歌ってるのかと思った。)
 知っている曲だったということも更に輪をかけたのか、この演奏会では初めて気持ちが高まる(!)という経験をしました。まるで山本容子さんの銅版画のように、ピアノやらヴァイオリンやらの楽器達から音の精たちがどんどん生まれてきて、舞台の上空を楽しそうに舞い踊ってるようでした。音が目に見える感じ!
 
 そんな訳で、クラシック音楽と私の間の壁が崩壊した記念すべき演奏会になったのであります。 
(アオキ)

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(山)

  「孤立のアフガン」 中村哲氏講演会より

   1 「報道管制」は不可能
 タリバーンは報道管制を敷いていると、欧米や日本のマスコミは言います。しかし、アフガンではこれは不可能なことです。なぜならば、電気が通っていない村が圧倒的に多いからです。つまり、テレビがありません。徒歩でしか行くことができない村も多い。
 3000m級の山岳地帯が大部分アフガンで、そのような統制ができることは考えられません。アフガン人の多くは、BBC放送のパシュトゥー語ラジオを聞いて、わりと正確に今回の米国における同時多発テロを把握しています。
 なお、このテロ事件のニュースが伝わった際、アフガン人のほとんどはテロリストを非難し、犠牲者への哀悼の意を表しました。
 しかし、テロを指揮したとされるビンラディンが潜伏しているので、アフガンを攻撃するというアメリカに対して、今までにないけた外れの敵意を抱いています。

   2 「女性への抑圧」の実体
 タリバーンは外出する女性に、ブルカ(チャドル)の着用を義務づけています。これが欧米の人権活動家には、女性抑圧の最たるものと映っています。
 しかし、ブルカ着用は農村部での常識です。農村出身者が多いタリバーンは、農村の常識を都市部で強制しているに過ぎません。

   3 大変親日的なアフガン人
 どんな山奥の小さな村に行っても、広島や長崎に原爆が投下されたことを知らない人はいません。
 アフガン人たちは、自分たちの国を侵略したロシア・イギリスと戦った日本に好意を持っています。
 もっとも、日本についての正確な知識はほとんどありません。真顔で「日本まで歩いてどのくらいかかるのか」と聞かれたこともあります(笑)。
 それはともかく、アフガン人の間に外国人排斥の動きがあっても、日本人は例外とされてきました。
 このお陰で「ペシャワール会」の活動がどれほど助けられたかわかりません。
 しかし、今回の米国の報復に日本が協力を表明したことで、アフガン人の親日度が下がることは間違いありません。

   4 誇り高いアフガン人
 アフガン人たちは、ロシア・イギリスの度重なる侵略を地力で跳ね返したことに誇りを抱いています。
 そして、統一国家アフガニスタンを指向する気持ちが根強くあります。
 そのアフガニスタンは多民族国家です。パシュトゥー人、ウスベク人、タジク人、日本人によく似た顔立ちのハザラ人から成っています。
 その彼らをまとめ上げているのが、統一国家アフガンへの思いとイスラーム教です。ただし、統一国家といっても近代国家のそれではありません。江戸時代の幕藩体制のようなものです。

   5 アラブ人への感情
 知っての通り、アフガンのタリバーン政権はアラブ人のオサマ・ビンラディンをかくまっています。
 これは彼が旧ソビエトと戦ったことと、異国から来た客は丁寧にもてなすアフガンの伝統からです。
 その客人をアメリカに引き渡すのはとんでもない、と普通のアフガン人は思っています。
 しかし、だからといってアラブ人に対する感情は良いとは言えません。

   6 250円と8円の命
 アフガン・パキスタンでは、250円の薬が変えないためにばたばたと人が死んでいきます。
 しかし、扁桃腺が腫れただけでロンドンやニューヨークへ飛んで診察してもらう金持ちがいます。彼らは、日本の小金持がびっくりするほどの財産を持っています。
 その一方で一発の銃弾の値段は8円です。8円で人殺しができます。

   7 「BBCヒーロー」
 1979年にソビエトがアフガンに進行した際、多くの人々が村や家族を守るためにゲリラとなって戦いました。
 外国のマスコミが取材に殺到しました。報道によってゲリラの中から日本や欧米で有名になったものが出ました。
 彼らは「BBCヒーロー」と呼ばれています。BBCとはイギリスのテレビ・ラジオ局で、日本のNHKにあたります。アフガンにおける外国マスコミの代名詞です。
 そのいわば作られた英雄の中で日本でも有名なのが、米国同時多発テロの二日前に暗殺されたマスードです。
 しかし、彼はひどいことをしました。ソビエト軍撤退後の内戦で、タジク人の彼は対立するハザラ人の村に無差別攻撃を行い、多くの人々を虐殺しました。

   8 アフガンは地球温暖化と国連経済制裁の犠牲者
 私がアフガンに来た17年前と比べると、この地を東西に横切るヒンズクーシ山脈に降る雪の量が、目に見えて減っています。
 それで雪解け水の量も激減しています。降雨量も同じです。地下水の水位が下がっています。
 昨年アフガンは、史上最悪のかんばつに襲われました。
 雨が一滴も降らなかったのです。川は干上がり、井戸は枯れました。田畑や牧草地は乾き、砂漠になりました。多くの農民や遊牧民は難民となり、都市に流れ込みました。廃村が続出しています。この飢餓と水不足で、これまでに約100万人が餓死したと言われています。
 このことは全くといっていいほど、先進国では報道されませんでした。それどころか、米国や国連はアフガンをテロ支援国家に指定して経済封鎖を続けています。そのために被害はひどくなる一方です。
 そのうえに米国の報復攻撃です。
 崩壊寸前の小国を相手に、国際社会すなわち欧米諸国は戦争をしようとしています。
 一体、米国は何を守るために戦おうとしているのでしょうか。

   9 難民収容所と化した都市
 先に言いましたかんばつによって、首都カーブル(カブール)やジャララバード、カンダハルなどの主要都市は、街全体が難民収容所になりました。
 そして今回の米国の報復攻撃を恐れて、お金がある人たちはパキスタン国境に殺到しています。
 都市に残っているのは、どこにも行く当てがない本当に貧しい元農民や遊牧民ばかりです。
 パキスタン政府は国境を封鎖したと言っておりますけれども、1500kmもある国境線を見張るのは不可能であります。検問所を避けて、徒歩で3000m級の山を越えパキスタンを目指しているのが現状です。その山越えで、年寄りや子どもがたくさん死んでいます。

   10 今回の事件は「終わりのはじまり」
 今回のテロ事件は「終わりの始まり」だと私は思っています。
 経済的繁栄と安全が両立する社会が、成り立たなくなったのです。
 今、日本は、少し貧しくなっても安全に平和で暮らせる社会か、豊かだけれども危険と隣り合わせの社会の、どちらかを選択しなければならなくなったと私は思います。

   11 小泉首相の対米協力について
 小泉首相の支持率は80%だと聞いています。
 その彼がアメリカの報復行動に、できるだけ協力するとブッシュ大統領に約束しました。
 このことは重く受け止めなければなりません。
 大多数の日本人が支持した政治家の選択です。これは、日本人の選択なのです。

   12 私だってテロに走りますよ
 アフガンの人々は、仕事はない、家もない、お金もない、食べ物もない、飲み水もない、何もかも、ないない尽くしの状況に追い込まれています。
 助けを求めても? 豊かな先進国は手を差し伸べようとはしませんでした。声を聞こうとさえ、しなかったのです。
 徹底的に無視されました。そんな絶望的な状況に追い込まれたら、私だってテロに走りますよ。

   13 日本は平和憲法を前面に押し出すべき
 日本は、憲法9条を前面に押し出すべきです。
 「我が国は、憲法によって今回の戦争に参加することはできません」と、はっきり言えばいいのです。
 それで日米関係が悪化して、経済的に不利益を被って、少し貧しくなってもいいと私は思います。アフガンに比べれば、どうってことはないですよ。

   14 むしろ米国や日本の方が報道管制を敷いている
 日本に帰って驚きました。マスコミの報道が、あまりにも一方的だからです。
 タリバーン=悪者、北部同盟=よい子、悪の権化ビンラディンをやっつける、正義の味方アメリカ、という図式で報道しているからです(笑)。
 冷静さを失っているようです。
 タリバーンというのは、「神学生」という意味です。
 農村の普通のおっちゃんや兄ちゃん(笑)が、メンバーです。
 「ぺシャワール会」がかんばつ対策のため井戸掘りをしていた時です。一緒に井戸を掘っていた村人が、「タリバーンに気をつけろ。武器を持っているからな」と注意してくれました。その人自身もタリバーンのメンバーです(会場大爆笑)。
 ただ、アフガンの多数民族であるパシュトゥー人が中心であるため、少数民族のハザラ人やタジク人と対立していることは事実です。私もハザラ人と間違えられて、頭に銃を突きつけられたことがあります。

   15 復讐法について
 アフガン人にとって法とは、イスラム法と復讐法です。野蛮の代名詞とされている復讐法については説明します。
 アフガンはシルクロードの十字路にあるため、古代から現在に至るまで戦争が繰り返されました。
 「やられたらやり返せ」をしないと、生き残ることができない土地です。
 話が脱線しますけれども、アフガンと同じように戦乱が絶えなかったパレスティナに生れ育ったイエス・キリストが「汝殺すなかれ」と説いたのは、とてつもないことでした。
 生き残るための復讐を禁じたというのは、実に極限状態の決断なのです。
 私も似たようなことがよくあります。無医村へ診察に行きますと、びっくりするほどたくさんの人々が集まります。行列ができます。待切れない人々が怒って、投石をします。発砲することも珍しくありません。アフガンでは内戦が続いているので、多くの人が銃を持っています。
 ロケット砲を打ち込まれたこともありました。幸い外れましたけれども(笑)。また、援助団体の派閥抗争に巻き込まれて、謀略にはめかけられたこともあります。
 その度にアフガン人スタッフは怒って、仕返しだ、やり返せといきり立ちます。その度に私は「復讐をしてはならん」と言います。
 すると彼らは目を丸くして「仕返しをしてはならんですって! ドクターは正気か」と驚きます。
 私は「復讐をすれば、必ず後で仕返しを受ける。今は我慢だ」となだめます。
 これを17年間やってきました。
 また脱線しますけれども、アフガンを含むイスラム教圏において、イエス・キリストは、ムハマンド(マホメット)に次ぐ預言者として崇拝されたいます。なお、私も一応クリスチャンです(笑)。

   16 募金の行方
 ユニセフなどの援助団体に寄せられる、募金の9割は組織の維持のために使われます。残りの1割しか難民に使われません。
 それに対して、ぺシャワール会へ寄せられる募金の9割が実際の援助に使われます。
 当会は全くのボランティアで運営されるために、それが可能なのです。

   17 「教育の貧困」について
 アフガンの農村においては、イスラム教の指導者(村の長老がなる)が寺子屋を開いて、子どもたちに字の読み書きを教え、クルアーン(コーラン)の暗唱をさせます。
 クルアーンには、人が人としてなすべき道徳や、日常生活の決まりが書かれてあります。
 そして、幼いころから大人と一緒に働いて仕事を覚えます。
 それが、この国の農村における教育です。
 よく国連のユニセフあたりが、このような状況を見て「なんたる教育の貧困」と嘆き、学校を建設し、教育を施そうとします。しかし、私はそれがよいとは思いません。
 もし、すべての農村に学校を建設し、こどもたちに先進国なみの教育を施したら、学校を卒業した途端に村を捨て都会へ流れるでしょう。ほとんどの村が過疎で空っぽになることが予想されます。
 教育を通じて豊かな都会の生活を知るからです。
 それは、日本がすでに経験したことです。

   18 なぜタリバーンが政権をとったのか
 タリバーンの兵の数は私が見た所、せいぜい2万人くらいです。
 こんな少ない兵力で、なぜ国土の9割を支配しているのかと言いますと、それは平和を求める民衆の止むに止まれぬ思いからでした。
 1992年4月ナジブラ社会主義政権が倒れ、ラバニを長とする暫定政権ができました。これがすぐに内戦を起こしたのです。また戦いが起こりました。
 治安は極度に悪化し強盗や殺人が横行しました。人々はうんざりしていました。「もう戦争は嫌だ。平和がほしい!」それが民衆の心からの願いでした。
 そこへアフガン南部のカンダハルを拠点とするタリバーン勢力が勃興しました。党派争いに疲れ果てていた民衆は、タリバーンが平和を回復してくれると期待しました。その期待を受けて、タリバーンはあっという間に支配地域を広げました。
 確かに平和が確立されました。イスラーム法に則り、犯罪者を厳しく取り締まった結果、治安は見違えるほど良くなりました。
 平和を求める民衆の、積極的とは言えない支持で、タリバーンが政権をとったのです。

   19 自力で帰国したアフガン難民
 1989年、旧ソビエト軍がアフガンから撤退を開始しました。これによってパキスタンに逃れていたアフガン難民350万人がすぐに帰国するとの観測が流れ、国連は数百億円の予算(その多くを日本が拠出)を使って難民帰還計画を立てました。
 これに欧米の200を超えるNGOが群がりました。しかし、だれ一人帰国するものはいませんでした。
 実はアフガンの戦闘が、さらに激しくなったからです。
 生き残りを賭けるカブールの社会主義政権と、戦いに勝って新政府の主導権を握りたいゲリラ各派がぶつかり合いました。
 そして、数千万個に上る未処理の地雷や不発弾もあります。
 そのような実情を無視して、国連や欧米のNGOは机上の難民帰還計画に熱中し、難民たちを翻弄しました。
 結局何一つ実現しませんでした。数百億円はどこに消えたのでしょうか。
 そして90年に湾岸戦争が勃発すると、危険だという理由で、彼らの多くは難民を見捨てて撤退しました。
 その難民たちは92年4月に、ナジブラ社会主義政権が崩壊し戦闘が下火になると、自主的に帰国を始めました。
 今でもはっきり覚えています。
 彼らは胸を張り、希望に顔を輝かせて家財道具をトラックやラクダ、あるいはロバの背に乗せて、続々と国境を超えて帰還しました。
 信じられないような光景でした。夢のようでした。
 だれにも指図されず、だれの手も借りずに、自分たちの力で故郷へ帰っていったのです。
 一生あの光景を忘れないでしょう。

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風雨強し。この前の休日も、私達が店番で雨だったなぁ。


お客さんが買った本を袋に入れる時、本の天地が気になる時がたまにある。
今日は他に考えることがないせいか、気になる一日だった。

天地逆さに入れてしまうと、本が逆立ちしてお客さんが家に着く頃には、本の頭に血が上っちゃいそうな感じがする。

宮地に聞いてみると、気にすると言った。
はて、山崎、神原、国吉は如何に?


品出し情報、の前に耳寄り情報をひとつ。

「バオバブ」が土・日のみランチ始めました! 12:00〜16:00
ミーヤンライス 800えん
チャイ 450えん
セットもあります。おいしいよ〜。

「バオバブ」三崎坂下(台東区谷中2-18-6  tel.03-5685-6648)
うれしいよ〜。

彰国社
『ライトの建築論』エドガー・カウフマン/編 谷川正己・谷川睦子/共訳 函3000円
                                   (S.47 第1版2刷)

『ライトの遺言』フランク・ロイド・ライト/著 谷川正己・谷川睦子/共訳 函3000円
       *「ライトの遺言/理解のために」付録小冊子つき      (S.46 第1版7刷)
 
(アオキ)       

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すみません。
今月の1册、期限破りは私です。
やっとこさ、完成ですが、アップされるまでもう少々お待ちください。
今宵はこれから山崎と先週千駄木に越して来たばかりの小森君と小奈やさんへ。
(神)

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<姉夫婦の心弟夫婦知らず>
 夕べ、ちょっとした用事で久しぶりに弟にメールを出した。その返事に、ついでのように書き添えられた文章は「今度新婚旅行にロス経由でメキシコに行ってきます。」
 偶然の悪戯か、前の晩宮地との会話で、私は少しばかりのお金と暇さえあれば旅支度するタイプでけど、弟はあまり旅行しないタイプだよね、と話題にしていた矢先だ。
 
 親に極楽とんぼと言われた私も、メールを読む我が目を疑う。「なぜ今、そっちに行く?」

 去年の暮長い付き合いの末、彼らはめでたく夫婦になったものの、仕事が忙しく新婚旅行に行けずにいた。やっと手にしたささやかな休みだ。出来る限り気持ち良く送り出してやりたい。

 しかし・・・、なぜ・・・、あぁ。
 
 まぁ、私が頭グルグルさせてる間も何便もの飛行機がアメリカに向けて飛び立ち、そして数は減ったと言うもののいつものように旅行を楽しんだ乗客を連れて帰ってきているのだけれど・・・

 そんな複雑な心境のまま眠りについたものだから、弟夫婦に向って行き先を変えろと声を荒げる夢を見た。寝覚めが悪い。これまでで一番、テロ事件を身近に感じた一晩だったろう。

 とかなんとか、複雑な心の内を吐露しつつも、ちゃんと送り出してやるのさ。
(アオキ)
 

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